みすず書房

和田英

わだ・えい

安政4(1857)年、横田数馬の次女として信州松代に生まれる。明治6(1873)年4月、16歳のとき、群馬県富岡に設けられた官営富岡製糸場の伝習工女として同郷の女子15名とともに出立し、技術の習得につとめる。翌年7月に帰国、8月より長野県西条村製糸場(後の六工社)の技術教師となり、4年後の明治11(1878)年には新しく操業した県営長野県製糸場の製糸教授に任じられる。明治13(1880)年に旧松代藩士陸軍中尉和田盛治と結婚、家庭に入る。その後東京、金沢、さらに東京と居を移し、大正2(1913)年、盛治の死後、養子の盛一一家とともに足尾銅山、静岡へと移り住む。昭和4(1929)年9月、足尾銅山通洞の社宅で病没。72歳。『富岡日記』は東京時代、英50歳のときに書きはじめられた。