みすず書房

秋山邦晴

あきやま・くにはる

1929-1996。東京都に生まれる。1952年早稲田大学仏文科中退。在学中、東京日比谷にあったCIE(アメリカ情報教育局)でレコード・コンサート・シリーズを構成・解説。アメリカ音楽、メシアン等ヨーロッパ現代音楽を紹介。1951年1月、音楽雑誌『レコード音楽』編集長。同年8月、武満徹、鈴木博義、園田高弘、山口勝弘、北代省三、福島秀子、駒井哲朗、大辻清司ら11名と瀧口修造の命名による「実験工房」を結成。第1回発表会・ピカソ展前夜祭のシナリオを担当。1952年10月ごろから本格的な評論活動を展開。以後一貫して実験的な創造活動を支持してきた。1953年東京交響楽団機関誌『シンフォニー』編集長となる。1958年NHK音楽作品〈ことばと音楽による3つの形象〉第2曲〈黒い絵画〉(作曲 武満徹)の詩を担当、イタリア放送協会グランプリ受賞。1956-58年、ブリジストンホールでシリーズ「作曲家の個展」を企画構成。1962年一柳慧、高橋悠治、小林健次ら13名と創造的な演奏家集団「ニューディレクション」を結成、内外のアヴァンギャルド作品を紹介。1963年フォード財団の招きで渡米。1964年「フルクサス」カーネギー・ホール・コンサートを指揮。1969年代々木国立競技場で「クロストーク・インターメディア」開催。1970年万博開会式のために〈鐘の音楽〉作曲。1975-77年「エリック・サティ連続演奏会」。1981年多摩美術大学教授。1986年『エリック・サティ・ピアノ全集』(校訂 高橋アキ、全音楽譜)。1995年「オマージュ・トゥ・ジョン・ケージ」一柳慧、高橋アキと出演。1996年「再現・1950年代の冒険 実験工房コンサート/映像と音楽」企画構成。同年8月死去。
著書に『現代音楽をどう聴くか』(晶文社、1973)『日本の映画音楽史 I』(田畑書店、1974)『日本の作曲家たち 戦後から真の戦後的な未来へ』(全2巻、音楽之友社、1978/79)『エリック・サティ覚え書』(青土社、1990、第1回吉田秀和賞)『昭和の作曲家たち』(編集 林淑姫、みすず書房、1996)、訳書『卵のように軽やかに サティによるサティ』(筑摩書房、1992)他。