みすず書房

ブレヒト(1898-1956)はドイツの詩人・劇作家である。彼の体験は、第一次大戦、ロシア革命、ナチズム、日独伊防共協定、スターリン時代、第二次大戦から戦後にわたる。この現代史を生きた詩人はつねづね中国の古典を深く愛読していた。とくに墨子のドイツ訳は座右の書であった。墨子は諸子百家の一人であるが、「楊墨ともに邪説ながら、墨?は揚朱よりもさらに矯偽の言行多くして人情に近からず」(朱子)として忌避された異端の思想家である。
ブレヒトの死後、未完のまま残された彼の遺稿に「メ=ティ」(墨?)という小冊子があった。それは、ブレヒトの生きた時代の、人物行動・事件への鋭いアフォリズムの詩的散文の束であった。
著者は、墨?をたどり、ブレヒトを探りつつ、2300年前の世界と20世紀前半の世界の交錯に光をあてる。その視座は、もちろん著者の戦後世界の体験に根ざしている。
二つの過去が二つの言葉、中国語とドイツ語を媒介として蘇えるプロセスの魅力は、著者の現代観察の眼とともに、読者を捉えてはなさぬであろう。