みすず書房

精神医学は、ある種の才人たちが善意の人たちをからかいながら好んでいうのとは逆にその対象の特殊性によって人間の自由を、その理性を基礎づけるのだ。これはまさしく、人間というものが、その一部の人々だけが狂気しているにしても、概していえば理性的であるからにほかならない。精神障害の「否定性」がそれに依存する意識野と自我の組織解体を通じて、精神医学がわれわれを必然的に導いて行くところは、意識存在の規範となる様態に向ってであり、決して単に、これらの精神病理学的諸様態においてもなお残存するものの「肯定性」を形成する経験と実在との様態に向ってではないのである。……
もしも精神科医が「意識」についていうべき何ものかをもっているとしたら——しかも彼はそれを充分にもっているのだが——彼はその意識をあるがままのものとして、すなわち「理性」としてとらえるのでなければならぬ。——なぜなら彼が治療せんとする「狂気」とは、人間の意識の背理(反対方向)にほかならないのだから。(本書231-232ページ)