みすず書房

■高木惣吉とはいかなる人物であったか?
高木は、海軍大学校を卒業した後、昭和2年から2年間フランスに駐在。12年から17年にかけ、海軍省調査課長、あるいは海軍大学校教官として、民間の知識人をも集めて、ブレイン・トラストを設け、政界・財界ともパイプをもち、情報収集と思想・政治・外交の分析に従事した。軍人としては、かなりユニークな軍人政治家ともいうべき資質をもった情報将校であった。
昭和19年秋、太平洋戦争の戦局の悪化にともない、井上成美の密命を受け、病気と称して終戦工作に従事し、海相米内光政を補佐した。敗戦後の昭和20年9月から10月、東久邇宮内閣の内閣副書記官長として終戦処理に当たった。著書も多く、冷静な分析に基づく『太平洋海戦史』『現代の戦争』(いずれも岩波新書)はベストセラーになった。

■この史料の特色
廬溝橋事件が起こり、日中戦争が泥沼化する昭和12年に始まり、太平洋戦争開戦、終戦の昭和20年までの日記が収録されている。
とともに、手帳・メモの記事、その間に高木の収集しえた情報類をも収録し、それがなによりもこの史料をユニークなものとしている。
これらの情報類には、「秘録抜粋」「岡田大将との会見秘録」「諸意見具申並戦争指導」「政界諸情報」「日独伊提携強化問題に対する意見」「戦争指導刷新録」等々が含まれ、政局の展開に当たって枢要な地位にあった海軍軍人たち(岡田啓介、米内、井上ら)、そして宮中グループ(近衛文麿、木戸幸一、高松宮ら)の発言と行動が克明に綴られている。
また終戦工作については、近衛文麿をソ連に派遣し、天皇とスターリンの会見をも視野に入れての和平の可能性を追求した過程が、ソ連側に提示しようとした講和条件を含め、史料で完璧に辿ることができる。

■この史料の価値
日本の戦争指導は陸軍によって遂行されたとする、いわば常識化された「歴史解釈」は、果たして全面的に正しいのか。ここに収録された史料群から、海軍という軍事機構が、重要な局面にいかに対処しようとし、いかなる政治的・歴史的役割を演じたかかが明らかになる。特に、防共協定問題(三国同盟問題)、近衛新体制問題、日米開戦問題、終戦をめぐる問題、そして戦後構想の問題について、きわめて豊富な情報を与えてくれる。
長らくその公刊が待たれた「高木文書」は、現代史の見直しを迫る貴重な内容をはらんでいる。

目次

上巻
昭和12年/昭和13年/昭和14年/昭和15年
下巻
昭和16年/昭和17年/昭和18年/昭和19年/昭和20年
高木惣吉略歴
あとがき(伊藤隆)