みすず書房

沖縄にとって日本とはいったい何なのか、国家とはいったい何なのか。謝花昇(じゃはな・のぼる)は、そう問わずにはいられなかった最初の一人である。沖縄の矛盾の構造を一身に生きていた彼が突然の狂気におそわれてから一世紀近い歳月、そして山林行政官の職を辞し、民権運動を始めてからだとちょうど1OO年の時間が流れた。その間も、謝花は沖縄の民衆の意識の中に生きつづけた。研究の対象としても、沖縄の置かれたそれぞれの時代状況を反映しつつ、たえず思想的な問いを投げかけてきた。

にもかかわらず、謝花の肉声をあらわす著作物は極めて少なく、しかも目にし難い。ここに「東京留学日記」から、卒業論文、講演記録、行政文書、新聞投書、唯一の著書『沖縄業論』、病気全快の広告に至るまで28点、いま知られる限りの全てが集成された。それとともに、彼に関連する人物、なかんずく「沖縄倶楽部」で苦楽をともにした人々の行動を克明に追った年譜も収められる。そしてこれらの収集資料と調査に基づく編者渾身の力作「謝花昇——近代日本を駈け抜けた抵抗」も併載する。
謝花像を一新する本書は、沖縄に対して、そして近代日本に対して、我々に新たな目を開かせずにはいないであろう。

目次

東京留学日記[部分](明治14-16年)
脳の話(明治23年)
讃岐国糖業之実況及ヒ其改良策(明治24年)
謝花門中・日記帖(明治24年)
甘蔗敷地に就て(明治26年)
[琉球新報創刊への祝辞](明治26年)
[沖縄県の開墾趣意書](明治26年頃)
[土地開墾に関する]命令書(明治26年)
国頭地方本部間切杣山の景況(明治27年)
[首里士族の杣山開墾願出に対する回答](明治27年)
沖縄糖業論(明治29年)
[移転広告](明治31年)
[本県佐藤の将来に関する意見概要](明治31年)
[第一八回砂糖審査会褒賞授与式における審査梗概の薦告文](明治31年)
[移転広告](明治31年)
辞職願(明治31年)
[帰県広告](明治32年)
[議員選挙法改正案記事の取消し要求](明治32年)
[投書への回答](明治32年)
[農工銀行総会への委任に関する注意広告](明治33年)
農工銀行に於ける一派[部分](明治33年)
農工銀行株主に告く(明治33年)
杣山談片(明治33年)
[上京の際の送別会に対するお礼広告文](明治33年)
履歴書(明治34年)
砂糖消費税法案に対する調査(明治34年)
農工銀行と産業組合(明治34年)
[病気全快の広告文](明治34年)


謝花昇年譜
謝花昇——近代日本を駆け抜けた抵抗(伊佐眞一)
あとがき