みすず書房

この日記は、敗戦の年(1945年)の元旦から、病に倒れ総理を辞任する直前の1957年1月までの、おもに政治家として活動した12年間の几帳面な日録である。公表を前提としない貴重な証言であり、閣議・会合・政治献金・執筆・発信受信記録など公的な活動のみならず、読書・人物評・家族との外出など、その生活全体が豊かな広がりをもって記されている。

湛山は、東洋経済新報社に入社した明治44年から、一貫して自由主義の立場に立ち、軍国主義を批判するジャーナリストであった。敗戦の三日後の記述——「考えて見るに予はある意味において、日本の真の発展のために米英等と共に日本内部の逆賊と戦っていたのであった。今回の敗戦がなんら予に悲しみをもたらさざる所以である」。

彼が政治の世界に直接かかわるのは、1946年の第一次吉田内閣蔵相就任に始まる。その後の足取りは、下記の略歴に見るとおりだが、その剛毅と清廉から発された言葉は、保守政治再編期を迎えた今こそ、高く評価され、新たな展望を開くであろう。