みすず書房

茅盾(ぼう・じゅん、1896-1981)の名は、『子夜(真夜中)』(1933)や『霜葉は二月の花に似て紅なり』(1941)などの長編で知られる。この現代中国文学を代表する作家、魯迅精神の継承者といわれる優れたリアリズム作家は、いかにして中国の大地から生まれたか。作家は、文化大革命の余波も未だ収まらない最晩年の日々、この『回想録』の執筆に専心した。

茅盾は浙江省烏鎮に生まれた。文豪を産んだこの江南の水郷は観光スポットにもなっている。幼少年時代、故郷での家族生活の描写は、圧巻である。やがて青年は、古典的教養を豊かに身につけ出郷、新知識を求め北京大学に学ぶ。予科修了後、当時世界最大の出版社の一つ、上海商務印書館に入社、初期はその編訳所で、評論・海外文学の紹介に活躍する。

青年の修業時代は、とりもなおさず中国の激動の時代でもあった。五・三〇事件、商務印書館の大ストライキ、中山艦事件、1927年の大動乱へと場面は展開していく。この『回想録』の特色の一つは、時代思潮の変化、社会運動の勃興する状況を、若い中国を担う青年——陳独秀、毛沢東ら——との交流に重ねて描いていることである。すなわち、これは自伝文学の傑作であるとともに、20世紀初期中国の文学・思想・出版に関する第一次資料の意義をも備えているのである。

原書は、1949年冬までであるが、日本語版では、完全に作家自身の手になる「作家生活の開始」の章まで13章を訳し一冊とした。第一級の研究者による見事な翻訳で、行き届いた訳注も付されている。