みすず書房

辻まことはすばらしい詩文家であるとともに、他方生まれながら画才に恵まれていた。その上、むささび撃ちの名人で、ギターを手にすれば天下絶品、山スキーの達人、また独特の読書家で早くからダンテ、エラスムス、ショーペンハウエルの書に親しみ、晩年は空海の性霊集を枕頭の書とした。このような人がかつてこの世に存在したことが信じられようか。

《人を取除けてなおあとに価値のあるものは、作品を取除けてなおあとに価値のある人間によって作られるような気がする》と、辻まことは言っているが、それは彼自身のことでもあるようだ。その魅力あふれる人柄、話しぶり、そして生き方、伝えようもないそれを、辻まことの親友であった著者が伝えてくれる。《辻まことを知らなかった人も、本書によってあの高邁なエスプリ、飛翔するユーモア、自由の哄笑、人物から発する独特の爽やかな雰囲気を知るだろう…》(矢内原伊作)

辻まことが没し、この「思い出」が書かれて四半世紀、現在および将来の読者に、いっそうよく辻まことの姿が身近に感じられるよう、著者は新たに「追記と補注」を書き下ろし、それに、彼を偲んで書いた「多生の旅」ほかの短章、別に小論三篇を加え、一巻に編んだ。「何ものにもなるまいとする精神」の持ち主、辻まことに捧げるにふさわしい、自由自在な風韻の漂う一巻。