みすず書房

「さきごろ、北静盧の『梅園日記』を繰り直し、久しぶりに充実した気分を催した。家根屋のおやじにこうした強記多識の考証家がいたというあたり、江戸時代とはなんともありがたい御代ではあった。純粋の坐職でないものの、家根を葺くかたわら書斎に戻れば文法の学を案じていたと伝えられるから並みの読書家ではあるまい。酒を好まず、とは江戸者らしくないものの〈ねがはくはまたも此世に生れ来てみぬ水くきをよみつくしてむ〉と詠みなすあたり、うれしい御仁だった」(後書)。

本書は、江戸文藝への深い造詣を披瀝した「江戸風流三十六家撰」「江戸の地名」から「現代文学の再発見」「空海とインド」まで、随筆・評論・考証・身辺雑記・交友・追悼・書評など、多岐にわたる著者独自の該博=辛辣なる文業を集成した大冊である。夜蛤をめぐる考察、露伴の俳味風流から久友土方巽、瀧口修造論「狂花の精神」、稲垣足穂大全の思い出、さらには雀右衛門萬歳、書翁手島右卿へと、まさに大盤振舞の趣。わけても、先師森銑三の志を継ぐ真の読書人たる著者の真面目は、「龍雨と万太郎」一篇に伺われよう。森翁と著者、この両者に通底するものは人間=文業への深切なる〈義〉であろうか。