みすず書房

〈若い頃この戦慄的な小説(ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』)を読んで以来、わたしは小暗くかげったこの水面と、その中をすいと泳ぐげんごろうのイメージに取り憑かれてしまった。今でもときおり「半分水の入った如露」の映像が何の脈絡もなく頭をよぎることがあって、ややもすれば、暗がりに置かれたそんな如露の中を覗きこみ、水棲昆虫が蠢いているのを見出したといった体験が、子どもの頃のわたし自身の身に実際に起こったことであるような気さえするほどだ。〉(本書より)

文学研究、詩作、映画批評、表象文化論、そして小説へ——。この20年におよぶ著者の多彩なエクリチュールの営みのさなかに紡がれたエッセイを、ここに集成する。
宮沢賢治の青に酔い、ボードレールの苦悩に癒やされ、『ぼのぼの』の口唇的ナルシシズムを看破し、チェスのポジションに近代の憂鬱を読み、テレビの三人横並び画面に「候補者の構図」を見出し、デ・パルマを斬り捨て、三島由紀夫を憐れむ。
読むこと=書くことの悦楽を、知性と官能のはざまで誰よりも旺盛に生きること。その萌芽状態にある思考のなまなましい息づかいを伝える、批評的エッセイ63編。