みすず書房

フランツ・ファノンとは何者か。精神科医であり、アルジェリア戦争に身を投じた第三世界解放の理論家、抑圧と非人間化への宣戦布告の書『黒い皮膚・白い仮面』はじめ4冊の著書の作者、そして仏領アンティルに黒い皮膚をもって生まれたマルティニック人——ファノンの思想の独自性をなすものは何か。

十代後半でその著者に出会い、以後一貫してファノンに関わりつづけてきた著者はかつて、パリ、マルティニック、アルジェリアとみずからの足で歩き、ファノンの生涯と思想の展開のあとをたどった。その成果は1981年刊の『フランツ・ファノン』として上梓される。それから四半世紀——「一つの思想の正しさとは、後の歴史に照らして勝ったか負けたかではない。…一つの思想の正しさとは、その時代に対しいかなる人間的真実をもたらしたかによってはかられるべきだ。その正しさは相対的であり、時代とともに滅びていくことは当然ありうる。ファノンについて私は、人間に関するいかなる真実を彼が明るみに出したかを十分に語ったつもりだ。死後40年、それらの真実はいまどの程度の光を放ち続けているのか」(本文より)

近年、クレオール性、ポストコロニアリズムというステージで、ことさらファノンに光があてられている。が、そもそもファノンの思想は、ネグリチュード‐黒人性を脱し、皮膚の色を超えた〈人間〉の立場へ向かおうとすることから始まったのではなかったか。終章「ファノンと現代」を新たに書きあらため、21世紀の世界の中で、いわゆる暴力論をも含めたファノンの思想全体をみつめなおした決定版。

著者からひとこと

ファノンのどの言葉も彼自身の生の現実に根ざしている——最初に彼の本に接したときからそんな思いを抱くようになった。『黒い皮膚・白い仮面』を翻訳し、ファノンについていくつかの文章を書くたびにこの思いはますます強くなっていった。『フランツ・ファノン』を書く決意をしたとき、私はすぐにマルティニック島に行くことに決めた。彼の生の現実に迫るには、まずはこの島を知る必要がある、と。

マルティニック島ですごした一週間はいろいろな意味で実りの多い滞在となった。ファノンの友人だった弁護士、マルセル・マンヴィルは毎日のように時間を割いてくれた。若き日のファノンについて、島の政治情勢について貴重な情報を与えてくれただけではない。裁判所に私を連れていって万引した少年の弁護を聞かせてくれたかと思うと、一晩、美しい愛人の家に私を招いて御馳走をしてくれた。

歴史家のガブリエル・アンチオープと知り合ったのもこのときだ。バスで出かけた中部の村で、帰途のバスがないことがわかり、ヒッチハイクを試みた。一時間後、停まってくれたのが彼だった。奥さんが日本人だとのこと、これが今では文化人類学者として知られる石塚道子さんである。ファノンについて調べるために来たと言ったら、彼は狂喜した。三年後、マンヴィル等と共に彼は「メモリアル・フランツ・ファノン」を組織し、私を招いてくれた。

この「メモリアル」で私はどれだけ多くの人に歓待されたことだろう。ファノンについて本を書いたというだけで温かく迎えられたのだ。2000年、三度目に島を訪れ、その二年前に亡くなったマンヴィルの墓に詣でたが、このときはファノンの長兄ジョビイたちが私のためにわざわざ集まってくれた。

ファノンのうちにある、自己を他に与えるあの途方もない「鷹揚さ(ジェネロジテ)」、友愛のアピール、それはどこかでマルティニックの人たちの心の質とつながっている、と私は考えている。(2006年6月 海老坂武)