みすず書房

村上春樹〈訳〉短篇再読 電子書籍あり

判型 四六判
頁数 264頁
定価 2,860円 (本体:2,600円)
ISBN 978-4-622-07453-3
Cコード C1095
発行日 2009年3月17日
電子書籍配信開始日 2013年4月1日
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村上春樹〈訳〉短篇再読

村上春樹ファンの多くは、彼が訳したアメリカ短篇小説を、彼自身の作品同等に愛読している。村上テイストあふれる翻訳短篇は、相似形で読者を招き、原作の核心へと誘い込んでいる。
村上氏が翻訳紹介する短篇作品は、小説の魅力と共に、アメリカの文化・社会のディテールを繊細に掬い上げており、そこが重要なんだと私たちに気づかせてくれる。村上訳の大胆な柔らかい言葉と原文を往き来するなかで、私たちは一篇の小説から豊穣を得るのだ。
本書は、村上春樹作品をデビュー作以来熱心に追ってきた著者の『村上春樹短篇再読』に継ぐ評論集であり、ムラカミ訳経由で原作を味読精読するための格好のガイドとなっている。作品の細部に分け入り、各々の小説の粋と技巧を楽しんでいただければ幸いだ。
T.カポーティ「ティファニーで朝食を」、F・S・フィッツジェラルド「カットグラスの鉢」、R・カーヴァー「ダンスしないか?」、U・K・ル=グウィン「空飛び猫」ほか、村上春樹氏が訳した短篇15作品を取りあげる。

目次

序 いま大学で(アメリカ)文学を学ぶということ
1 循環する物語
グレイス・ペイリー「必要な物」
2 ティファニーで翻訳論を少々
トルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」
3 語り手の柔軟性
F・スコット・フィッツジェラルド「カットグラスの鉢」
4 目に見えるものだけを語るということ
レイモンド・カーヴァー「ダンスしないか?」
5 短篇小説の本質
イーサン・ケイニン「慈悲の天使、怒りの天使」
6 「書く」という格闘技
ロナルド・スケニック「君の小説」
7 田舎町に押しよせるモダン
ウィリアム・キトリッジ「三十四回の冬」
8 小説という名の劇場
ラッセル・バンクス「ムーア人」
9 君に語りかける小説
デイヴィッド・フォスター・ウォレス「永遠に頭上に」
10 言葉への問い
マーク・ストランド「ベイビー夫妻」
11 それぞれの「差異」の感覚
W・P・キンセラ「モカシン電報」
12 リアリティとしての「リスト」
ティム・オブライエン「兵士たちの荷物」
13 アフリカ人女性の本懐
ポール・セロー「真っ白な嘘」
14 男だって女だって、人間だって猫だって、そんなのどうでもいいじゃない
アーシュラ・K.ル=グウィン『空飛び猫』
15 「蛇」が見えていたのは誰?
ジェイン・アン・フィリップス「盲目の少女たち」
おわりに——あとがきにかえて

著者からひとこと

専門は現代アメリカ文学と言っておきながら、丸ごと1冊アメリカ文学の本は、デビュー作でもある『カーヴァーが死んだことなんてだあれも知らなかった——極小主義者たちの午後』(講談社、1992)以来17年ぶりになります。前著『遠野物語再読』(試論社、2008)を書いているあたりから、ずいぶん遠くへ来たものだ、としみじみ思いなし、脱稿すると矢も楯もたまらず今般の原稿に着手した。というのはもちろん、もののたとえです。

私は盛岡と東京を往復する生活を送っていますが、先日、上りの新幹線で仙台から一人のビジネスマン風の男が二列席の私の隣に乗りこんできました。車内にはまだ空席が目立っていたので、今日はツイテないと思っているうちに、車掌が検札にまわってきました。と、隣人にチケットの提示を求めるではないですか。なんだ、正規の席じゃないのか、よりによって自分の横にくるなんて、と反射的に下唇を噛むと、隣人は前の座席を指さします。後ろから見る限り、そこには窓際に年配の男がいるだけで、通路側の席は空いている。つまりそこが隣人の本来の席だったようなのですが、車掌はその座席を一瞥すると頷き、隣人を咎めようとはしませんでした。謎です。いったいどういうことなのか。とは言え、腰を上げてそれを確かめるのも失礼かと思い、身ゆるぎし、もういちど下唇を噛み、こらえました。けれどもいっぽうで、謎は深まるばかりです。

隣人が大宮で下車すると、ようやく私は前の座席に身体を乗り出しました。通路側の席には窓際に座る老人の弁当が置かれていました。食べかけのようでした。老人は仙台でもそうでしたが、熟睡しています。なるほど。隣人は、熟睡している老人を起こしたくなかったのです。大仰に脚を組んだり、懐手する腕が私の肩に触れたり、彼には露ほどの良い印象も抱いていなかったのですが、この時、文字通りがらりと彼に対する見方が変わったのは言うまでもありません。

謎を謎として放置しないこと。謎を解くことによって対象に親近感がもてることもある。これは海外文学作品を読む時のひとつの心得でもあります。そこにめくるめく世界は私たちにとって身近なものばかりではありませんから、謎は少なからずあります。原文がそもそも抱える謎もあれば、翻訳によってもたらされる謎もある。私たちは、おうおうにして、その謎をほったらかしにします。どうせ異国のことなんだから、と。しかし、その未消化な思いはもしかしたら私たちを、確実に海外文学から遠ざけていくのではないか。だとすれば、なんとかできないものか。

というのが、本書の根底にある、強いて言うところの、思想です。

純文学、ファンタジー、ポストモダン、笑劇、詩。また、男性作家、女性作家を問わない村上春樹さんの訳業は、現代アメリカ文学を縦横に読み解くのに恰好の素材を提供し続けています。さらに、本の入手が容易である。そのうえ、私自身教壇に立つ職にあるわけですが、「村上春樹」を通すと、現実問題として、若者の海外文学へのアプローチが滑らかである(私のアメリカ文学講読の授業は、所属する英語文化学科の学生ばかりでなく、日本文学科の学生も受講しています)。本書が『村上春樹〈訳〉短篇再読』と銘うって、現代アメリカ文学へのドライヴウェイを開こうとした理由は、こういったあたりにあります。

全15章の中にはちょっとした仕掛け、と言うかイタズラをほどこした章もありますので、下唇を噛まずに楽しんでいただければ、著者冥利に尽きます。 (風丸良彦)

書評情報

岩手日報
2009年6月6日(土)
出版ニュース
2009年5月号
盛岡タイムス
2009年4月24日(金)
松坂健
ハヤカワミステリマガジン2009年7月号