みすず書房

知識と経験の革命

科学革命の現場で何が起こったか

REVOLUTIONIZING THE SCIENCE

判型 四六判
頁数 384頁
定価 4,620円 (本体:4,200円)
ISBN 978-4-622-07676-6
Cコード C1040
発行日 2012年3月19日
備考 現在品切
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知識と経験の革命

鳥は飛び方を知っているだろうか? 本書はそんな風変わりな問いから始められる。アリストテレスによれば、飛んでいること(経験)はすなわち飛び方を知っていること(知識)を意味しており、こうした知識のあり方は中世に至るまでヨーロッパを支配していた。
しかし科学革命と呼ばれる時期を経て、知識と経験の関係は一変する。科学革命とは、知識とそれを獲得する方法の概念が再構成された、史上に並ぶもののない驚くべき革命だったのである。
ガリレオ、ケプラー、デカルト、ニュートンといった科学者=哲学者たちが、いかに自然法則の探究を試みたか。また、彼らはどのようにその研究生活を生業とし、獲得した知識を広めることができたのか。本書では彼らを支えたパトロン、自然哲学の実践者としての職人の存在、さらには当時新設が相次いだ学術機関など、同時代的な社会環境にも光を当てる。
科学はいかに自然法則を「理解」することから、「利用」することへと革命されたのか。知識の〈道具性〉という概念をキーワードに、これまでの文献を渉猟し、かつ新たな好奇心への道標も用意した、科学革命期の最良の見取り図。

目次

第二版への序文

序論 自然哲学と道具性
I 知識とその歴史
II 自然界についての中世哲学者の考え方
III ルネサンスと革命
第1章 1500年には何に知的価値がおかれていたか
I ユニバーシティのユニバース〔大学で教えられた宇宙像〕
II 自然知識と自然哲学
III 天文学と宇宙論
IV 大学を超えて
V 学者生活と日常生活
第2章 ヒューマニズムと古代の知恵——一六世紀の学び方
I 言葉と知恵
II 科学ルネサンス
III 古代人のやり方を見つけ出す
IV 更新・革新・受容
V 復興と新しい哲学プログラム——復活したアルキメデス
第3章 錬金術師と職人と学者と
I オカルトを自由に扱う
II 職人の知識とその代弁者
III フランシス・ベイコン——哲学・実用知識・古代の位置づけ
IV 知識と国政
第4章 数学が哲学に挑戦する——ガリレオ、ケプラー、実用数学者たち
I 自然哲学 vs. 数学
II 数学的哲学者ガリレオ
III 数学的諸学の地位向上と認識論的野心——ガリレオとケプラー
IV 知ること、為すこと、そして数学
第5章 機械論と粒子——デカルトが宇宙を構築する
I 知る者に見合う世界
II 神の精神の内奥に至る
III 運動する物体
IV 実践的類比を通してデカルトの宇宙を信じること
V デカルトのコスモス
VI デカルト自然学の成功
第6章 正規教育外の活動——自然知識のための新しい館
I 変転する住まい
II ガリレオ——大学から宮廷へ
III パトロンとクライアント
IV パトロンと学術機関
V 空間を制覇するための学術機関——博物誌とヨーロッパの地球制覇
第7章 実験——自然に関する17世紀の学び方
I 経験を配置し直す
II 数学的な実験法
III 医学的野心と生理学的実験法
IV 「ベイコン的な」実験法
第8章 デカルト主義者とニュートン主義者
I フランスにおけるデカルト的自然哲学
II ニュートン的選択肢
III ニュートン主義
結論 18世紀までに、何に知的価値が置かれるようになったか

訳者あとがき

登場人物一覧
主要事項略解
典拠資料と推奨文献
索引

訳者からひとこと——「科学革命について物語ること」

このところ科学史業界では「科学革命論」が盛況を見せている。かつてのように、迷信から科学へといった啓蒙主義史観が唱えられることはなくなったが、その科学の成立をめぐっては議論が喧しい。はたして科学革命と称することのできる単一の歴史的出来事があったのかどうか、その歴史的内実はどのようなものとして捉えることができるのか、そもそも科学の成立として捉えてよいものか、自然哲学とキリスト教の関係が変貌していくプロセスではなかったか、等々。欧米での議論を紹介する形で、関連する著作が日本語に訳されている。主なものではSteven Shapin, THE SCIENTIFIC REVOLUTION (1996) [『「科学革命」とは何だったのか:新しい歴史観の試み』、川田勝訳、白水社、1998]、John Henry, THE SCIENTIFIC REVOLUTION AND THE ORIGINS OF MODERN SCIENCE (2002) [『17世紀科学革命』、東慎一郎訳、岩波書店、2005]。未邦訳のものでは例えば、Lisa Jardine, INGENIOUS PURSUITS: Building the Scientific Revolution (1999)、Wilbur Applebaum (ed.), ENCYCLOPEDIA OF THE SCIENTIFIC REVOLUTION: From Copernicus to Newton (2000)、Applebaum, THE SCIENTIFIC REVOLUTION AND THE FOUNDATIONS OF MODERN SCIENCE (2005)、Margaret J. Osler, RECONFIGURING THE WORLD: Nature, God, and Human Understanding from the Middle Ages to Early Modern Europe (2010) がある。ピーター・ディア氏の著作(初版2001年、第2版2009年)もこの流れに乗っている。

本書の原題はREVOLUTIONIZING THE SCIENCES: European Knowledge and Its Ambitions, 1500-1700である。「科学革命the Scientific Revolution」という通常の表現をタイトルに使わなかったところに、著者のセンスの良さがうかがえる、といったら訳者の贔屓がすぎるだろうか。直訳すれば、とりあえずは「科学に革命を起こす」となろうか。でもまだ意を尽くしたとは言い難い。最大の問題あるいは難点は、Sciencesの翻訳である。科学、学問、知識のいずれがよいだろうか? 英語の源流をたどれば、ラテン語のscientiaにいくだろうし、ギリシャ語まで遡ればepisteme* に行き着くだろう。そうなれば先の三つの言葉を一つに集約した日本語があればベストということになるのだが、どうもそうはいかないようである。そこで訳者と編集者の共同作業の結果が、標記の邦訳書名となったわけである。17世紀の「科学革命」と言われてきたものの核心は、知るということの内実・方法・目的および経験の再編における大きな変革にあった。このように主張する著者の意図に沿っているのではないかと訳者たちは秘かに自負しているのだが、果たしてどうだろうか。

我が国の科学思想史研究の先達であった下村寅太郎氏はかつて、科学史は「科学の歴史」ではなく「科学への歴史」であると喝破された(「科学史の哲学」、『下村寅太郎著作集』第1巻** に所収)。現代科学の祖形を遡って探求するのではなく、現代の姿へと科学が自己塑型・変貌してきた様を跡づける営為が科学史である、と。それは、現在の科学およびその活動を相対化する視座の獲得と言い替えることができよう。Fukushimaの大(人災)事故から1年が経った。科学信仰イデオロギーからの脱却がますます必要とされているように思われる現在、本訳書が多くの日本人に、特に若い方々に読んでいただくことを願っている。

(高橋憲一)
copyright Takahashi Kenichi 2012

(epistemeの2つめと3つめのeには正しくはアクセント記号がつきます。ブラウザでは表示されませんがご諒解下さい)