みすず書房

「本書『余りの風』は、十数年前に刊行した『書かれる手』とおなじく、さまざまな媒体に発表した批評的な散文をまとめたものだが、両者を貫く細い自問の線の質は変わっていない。文芸時評のような顔はしているけれど、分類を拒み、既成の枠からはみ出そうともがいている書法じたいに、あってない、ないけれどあるはずの盲点をこそ言葉のうちに探ろうとするはかない夢の痕跡が、すでに見て取れる。」(あとがきより)

数々の文学賞を受けて来た堀江敏幸が、自らを育み、力を与えた書き手を読み込む。作家ならではの触感と、作品の深みに入って行く理路によって、読者はそれぞれの書き手の大切な部分に気付かされる。文学の先達、多くは「会えなかった人たち」に向けられたエッセ・クリティック。
「余りの風を浴びながら、私はこれからも読み、書きつづけるほかないだろう——風音の裏側にかすかな「こだま」を聴き取ることのできる、その一瞬の空白に向かって。」
近年最良の文芸評論集と言っても、過言ではない。

目次

I
解けない霙——平岡篤頼
「こだま」の響き合う場——佐伯彰一
部分としての協力——竹西寛子
「ふつう」と「平凡」をかけあわせて——小山清
かぶるかぶるかぶる——古井由吉
厠と厩が静まるとき——古井由吉

II
強く眺めること、「我」を失うこと——藤村と透谷
不合理な逆遠近法——藤枝静男
もう悲しいという言葉を口にすることはできない——藤枝静男
余りの風——小島信夫
詩胚を運ぶ鳥——吉田一穂
あの沈黙の行方——田村隆一

III
思索する指——高田博厚
耳打ちする声——植草甚一
夕暮れの陸橋で——須賀敦子
空飛ぶスコットランド男——須賀敦子
洒脱の向こう側——山田稔
アナル学派の立ち位置——山田稔

IV
ヨーロッパの内なる「外国人」——シルビア・バロン=シュペルヴィエル
蝶のように舞うペシミスム——W・G・ゼーバルト
法王のピアノ——ソレルス訪問記
神秘のモーツァルト——フィリップ・ソレルス
49.9ccの歩行感覚——ジャック・レダ

縦楕円形の見えない一点に向かって——あとがき

書評情報

中村花木(詩人・俳人)
しんぶん赤旗2013年1月6日(日)
管啓次郎(詩人・比較文学者)
読売新聞2013年2月24日(日)

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