大人の本棚
アラン島
THE ARAN ISLANDS
「僕はアランモアにいる。暖炉にくべた泥炭の火にあたりながら、僕の部屋の階下にあるちっぽけなパブからたちのぼってくるゲール語のざわめきに、耳を澄ませているところだ」
19世紀末、文学の道を志しながらも、パリでさえない日々を送っていたJ.M.シング。友人イエィツにすすめられ、アイルランド辺境のアラン諸島に渡ったシング青年は、おじいたちから島にのこる数々の伝承を聞き、酒場や民家の炉端で島人とのつきあいを深め、またあるときは荒海に乗り出した島カヌー(カラッハ)で漕ぎ手たちと生死をともにする。
苛酷な自然の中で独自の文化を育み、たくましく生きる島人たち。その暮らしぶりを誠実に記録した紀行文学の傑作を、気鋭のアイルランド文学者によるみずみずしい新訳でお届けする。
「アラン島」の著訳者:
編集者からひとこと
「さてさて、それじゃ、『島』に行ってこようかな」。
昨秋に刊行した栩木伸明さんによる新訳『アラン島』(J・M・シング)の編集作業にとりかかるとき、いつもこんなふうに心のなかでつぶやいていた。
というのも、訳が仕上がったことを知らせてくださった栩木さんからのメールに「毎日ちょっとずつ島を訪問していたのですが、島通いがとても楽しかったのでついつい精を出してしまい、しばらくまえに訳了し」とあり、そのあとゲラの作業に入ってからも「じゃ、これから島に行ってきまーす」「爽やかな島風が吹きぬけていきました」といった、弾むようなメールをいただくことがあって、本作りをしているうちに、いつしか私もこのアイルランドさいはての島を行ったりきたりしている気分になったのだった。
『アラン島』は〈大人の本棚〉シリーズの一冊で、〈大人の本棚〉は素白先生をはじめかっこいい大人のおじさまたちを大勢擁しているわけだが、この『アラン島』にもかっこいい大人予備軍のふたりがいる。ひとりは著者のシング青年、もうひとりはアラン島・イニシュマーンでのシングの寄宿先の息子、マイケル。
栩木さんの解説によると、シングはダブリンの旧家のお坊ちゃん。アラン島に出会うまでの彼は、二十代後半にさしかかろうというのに、文学の道を志しながらもいまひとつ方向が定まらず、ヨーロッパ本土でうろうろ過ごしていた。いっぽうのマイケルは島生まれの島育ち。島カヌー(カラッハ)のあつかいも巧みで、畑仕事などにもしっかり精をだし一家を助けている。出自はまったく異なるけれども、ともに謙虚で誠実なふたりが、おずおずと親しくなっていく様子はほほえましく、ときに胸をうつものがある。
空想の「島通い」の最中、手作りの島モカシンをはいてマイケルといっしょに岩のうえをぴょんぴょんとびはねていくシング青年と、身のこなしの軽そうな栩木さんとが、ずっとだぶって見えていた。栩木さんは「翻訳」を「吹き替え」と言い、出来上がった本には「J・M・シング代理」とサインされるのだが、まさにそのことばの通りに。
もちろんシング君だけでなく、物語上手のおじいをはじめとしてこの本にはおおぜいの島人たちが登場しているのだが、栩木さんは多彩な声色を使いわけ、ひとりひとりをきっちり「吹き替え」してくれた。細部の工夫もさることながら、くわえて「翻訳の日本語にハートを込めるおまじない」(栩木さん)も仕掛けられている。アラン島と、栩木さんが愛するもうひとつの島とが、ことばによって繋がれているのである。察しのよい読者はすぐに気づいてくださるだろう。
この企画を思いついた根っこには、子供のころ『暮しの手帖』で読んだグラビアの「アラン島紀行」があった。海外旅行がいまほど一般的でなかった時代、『暮しの手帖』の外国ページは、地方の小さな町で「ここではないどこか」にひたすら憧れる子供の気持ちを十分満たしてくれたのだが、なかでもこの「アラン島紀行」は鮮烈だった。やせた土地で育つじゃがいもや島の女性たちが編むセーター、石塀の道を行くロバ、そして見たこともない暗い色の海に、どういうわけか「いつかぜったいここに行く」とつよく思ったことをおぼえている。それから20年以上たって、アラン島を舞台にした古典が生まれかわる現場にいあわせることができたのは、ほんとうに幸福な体験だった。
まだじっさいのアラン島には行ったことはないが、いつかこの新訳を持っていきたいと思う。「一週間で行って帰ってこられるアラン島」ベストコースを栩木さんに教えていただき、「アラン島貯金」をはじめたところだ。(2006年3月 編集部・宮脇眞子)
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この本の関連書
「アラン島」の画像:
「アラン島」の書籍情報:
- 四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/288頁
- 定価 2,625円(本体2,500円)
- ISBN 4-622-08063-X C1398
- 2005年11月10日発行






