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瀬畑雄三『渓のおきな一代記』

瀬畑雄三さんと初めてお目にかかったのは、渓でした。
2005年9月末、朝日山地の荒川本流へ、源流釣行をご一緒させていただきました。
沢登りはともかく、テンカラ釣りのテの字も知らない渓流釣り未経験者の私に、ラインや毛バリの結び方から竿の振り方まで、じつに懇切丁寧に教えてくださいました。このときまぐれで1尾釣れてしまったがために、以来どこの沢へ行くにもつい欲が出てザックにテンカラ竿を忍ばせてしまい、何度ボウズ(1尾も釣れないこと)の憂き目にあったことでしょう。

荒川本流では、瀬を泳ぎ滝をよじ登る遡行術から泊まり場での生活術まで、瀬畑さんの身のこなしすべてに感嘆しましたが、なかでもとりわけ驚かされたのは、ブルーシートで作る通称「せばたハウス」です。沢登りや源流釣りでは、露営するのにたいていはタープを張ります。タープは防水加工を施したナイロンなどの一枚布で、これを屋根形に張って当座の雨よけにするわけです。ところが瀬畑さんが使うのは、工事現場などで見かけるあのブルーシート。これが瀬畑さんの手にかかると、4本の流木を支柱にいともたやすく、じつに快適な“家”に変身するのです。

荒川本流中俣沢を源頭までつめ上がり、3日目に稜線の大朝日小屋に入りました。大朝日岳は日本百名山。連休中で小屋は多くの登山者で賑わっていました。“せばた翁”は登山者の間でも人気者です。あっというまに瀬畑さんを中心に車座ができて、この晩は「せばた翁の山がたり渓がたり」に花が咲きました。このときの源流釣行では、あの“サバイバル登山家”服部文祥さんも一緒だったのですが、「瀬畑さんは有名人だなあ。オレも『岳人』ではよく顔出してるのになあ」とぼやいていたのが思い出されます(服部さんが著書を出す前でした)。

ともあれ、これを機に瀬畑さんの稀有なお人柄に魅了された私は、いかにして瀬畑雄三は“渓のおきな”となったのか、その顛末をご自身の筆で語っていただくべく、月刊「みすず」に自伝の連載をお願いしました。まる4年、計40回におよんだ連載中、御原稿はかならず瀬畑さんが手ずから社に持参されました。春には山菜、秋にはキノコのお土産も欠かさずに。とりわけあの香り高い山菜“コシアブラ”は編集部の間でも大人気で、ここでも着実に瀬畑ファンが増え続けております。

かくしてようやく一書がまとまりました。瀬畑さんは今年でちょうど御年70歳。そのうち50年にもおよぶ源流釣り人生を縦横無尽に綴った自伝です。渓流釣りの極意、自然の恵み、忘れがたい人びとなど全31編。そのなかでも白眉は、編集担当者たる私の主観で言わせていただければ「親子ふたりの源流行」でしょうか。いまから2年前、瀬畑さんとご長男の孝久さんが、先の荒川の支流でこちらは飯豊山地から流れ下る険谷、大石川東俣沢源流へ行かれたときの釣行記です。親子ふたりの沢旅にいたる経緯については、ぜひ本書でお確かめください。後半部から引きましょう。

「ながい歳月のはて、離婚による家族の躓きはあったが、ふたりの息子のうち長男の孝久が私とおなじ源流釣りの途を歩んでいる。けっして薦めたわけではない。それでもおなじ釣りをこころざしてくれたことが、私には素直にうれしい。
それも「テンカラ釣り」である。
古来から伝承されてきた生粋の日本の毛鉤釣り、テンカラ釣りである。
イワナ、ヤマメたる渓流魚を毛バリで釣る一釣法なのだが、かれが生まれる前から誠心をかたむけ精進してきた私の釣りである。」

“誠心をかたむけ精進してきた私の釣り”――こんな言葉がさりげなく言えてしかも自然に響くのは、渓のおきなだからこそなのです。




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