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グロスマン『人生と運命』 1

齋藤紘一訳 [16日刊][全3巻]

ワシーリー・グロスマンという奇跡。
実在と架空の人物が生きている。全三部、201章。『戦争と平和』『源氏物語』よりも長い。おもな登場人物がゆるやかにつながりながら、小説版百科全書のようにひとつの時代が再現されている。
各章がチェーホフの短篇のようと評されるのは、さまざまな人生の稀有な時が描かれているからだ。
ドイツの捕虜収容所における、ナチきっての理論家である親衛隊少佐と筋金入りロシア人革命家の対話。
ドイツの捕虜になった赤軍将校たちが未来の「統一自由ヨーロッパ」を夢見た蜂起。
ユダヤ人移送列車で出会った少年の母親がわりをするうちに、生き残る可能性を捨てて少年とガス室に向かった独身の女性外科医。
降伏したドイツ人兵士に、煉瓦を手に殴りかかろうとして、かわりにパンを差しだしてしまったロシア人住民の女。
戦時中の最悪の時期に、主人公ヴィクトルに核反応の解明につながる数式がひらめいた瞬間(物理学者ランダウの戦後の功績がモデルになっている)。

「グロスマンは、ソヴィエトの第一級の作家が自らの位置を変えた唯一の、最重要の例である」とツヴェタン・トドロフは書いた。
スターリン体制下にあって、なぜグロスマンだけが『人生と運命』のような作品を書きえたのか。イデオロギー統制が行きわたり、異論を述べることが逮捕の理由になる時代、発表のあてのないままに、権力の本質を見すえて人間の自由を問う、とてつもない小説を書いたのか。

ハンナ・アーレントが1961年に開始されたアイヒマン裁判を傍聴し、『イェルサレムのアイヒマン』を刊行したのが1963年。冷血極悪人と思いきや、「自分は職務を忠実に実行しただけ」とくり返す小役人アイヒマンを提示して、世を騒然とさせた。
「現代人はだれもがアイヒマンになりうる」と、アーレントの最初の夫ギュンター・アンダースがアイヒマンの息子への公開書簡(のちに『われらはみなアイヒマンの息子』として刊行)を発表したのが1964年。二人はドイツ系亡命ユダヤ人である。

グロスマンは鉄のカーテンの反対側で、1960年に『人生と運命』を脱稿していた。ナチの絶滅収容所特別指揮官はこんなふうに描かれている。

世界大戦、ナショナリズムの巨大なうねり、不屈の党、国家の強制といった強い力の前で、私に何ができたでしょうか。私は人間です。父親の家に住んでいたかったのです。私が望んだのでなく、運命が私の手をとって導いたのです。

このようなユダヤ人大量殺戮の当事者像を、グロスマンはいったいどこで手にしたのだろうか。「運命は人間を導く。しかし、人間は望むから歩んでいく。人間は望まないこともできるのである」と続く。

謎を解く鍵はおそらく母親の死にあるのだろう。
ウクライナでのユダヤ人虐殺の前夜に母親がゲットーから息子ヴィクトルにあてた手紙(第一部18章)は、グロスマンの最愛の母の肖像である。ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマンが「ザ・ラスト・レター」で映像化し、また『人生と運命』の英語版翻訳者は「これほど力強い、東欧ユダヤ人たちへの哀悼を知らない」と言った。

今のこの恐ろしい日々、私の心はユダヤ人に対する母親のような優しさでいっぱいです。今まで、このような愛を知りませんでした。それはかわいい息子のおまえに対する愛を思い出させます。

1964年9月14日、グロスマンの命日は23年前、ウクライナにナチの親衛隊(SS)部隊が侵攻した日だった。本書は母に捧げた献辞をもつ。
そして死の直前、グロスマンは三つの遺言をした。棺を作家同盟に安置しないこと。ヴォストリャコフスキーユダヤ人墓地に埋葬すること。外国ででもよいから『人生と運命』を出版すること──。
著者の死後48年。ソ連時代に抹殺されて甦った本がいま、日本の読者を待っている。




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