みすず書房

池内紀『消えた国 追われた人々』

東プロシアの旅  [写真|池内郁]

2013.05.10

国が消えるとはどういうことか? なにが出来し、国民はどこへ行くのか? 日本にも亡国の危機はあったし、これからも?

尖閣列島をめぐる中国との軋轢、北朝鮮による核の脅威、沖縄の基地移転、ロシアとの北方領土の交渉、などなど。ナショナリズムを刺戟する話柄には不足しない日々である。しかし、国の滅亡まで念頭におくほどの危機感はないだろう。

東プロシアとはあまり聞き慣れない国名であるが、この国はかつて確かに実在し、中世にまで遡る歴史をもっていた。それが跡形なく消え失せたのである。コペルニクスが星を見上げ、カントが『実践理性批判』を書き上げ、ホフマンやワレサやギュンター・グラスに関わりの深い国。

著者はこの亡びた国=東プロシアを知るために旅を三度重ねる。ヒトラーが蚊に悩まされた〈狼の巣〉や地上を航海する船、貴重な琥珀美術の流転、スターリンの都市政策の結果、タイタニックを超える死者を出したグストロフ号の大惨事――これは忘却された過去の歴史を尋ね、住人たちとことばを交わして現在を考え、彼我の未来を探った類のない紀行記である。

グラスの翻訳を機に開始されたこのペンの旅は、独日の敗戦処理の比較や人による国の選別など、きわめて今日的なテーマを、紀行という緩やかなジャンルによって呈示している。著者といっしょに旅を楽しみながら幻の現代史を歩くユニークな一冊である。