みすず書房

『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』

姜信子編

2014.03.28

  • アカとライ病が
  • 日本の疎外の代名詞なら
  • この詩人はその二つの翼を
  • つけた唯一の王者だ
  • かれがどんなに高くひろく
  • 翔けることができるか
  • この頁をひらいてゆくとき
  • 君はきっと羨望する
  • ──井手則雄(谺雄二『鬼の顔』序 1962年)

日本のハンセン病療養所は、全体主義のすべての条件を充足する第一級の強制収容施設であり、アウシュヴィッツと同様、疑似血統の絶滅施設である。

  • この国の哲学は、理性と暴力という問題を論じるに当たって、地球の反対側のナチスやアウシュヴィッツを焦点化し、パレスティナとユダヤ人問題には相当の情熱と労力を支払うのに対して、この国直近の暴力事象をほとんど枠外に置いてきた…
  • ──古賀徹『理性の暴力』
  • 療養所という社会の外、日本国のはずれの地にこそ、日本国の根本原理である憲法の理念が息づいていたことの逆説を私は深く考えたいと思うのである。いったい、この社会にあって、私たちは何を見失って生きているのかと。私たちのいのちはどこをどうさまよっているのかと。
  • ──姜信子(本書、編者あとがき)

2012年11月5日、東京・科学技術館。全国13か所のハンセン病療養所の入所者協議会(全療協・入所者平均年齢82歳)を支援する市民集会に、本書の編者・姜信子さんと出かけていき、心底驚いた。壇上に上がった数名の元患者が国の看護職員削減に抗議して「わたしたちはハンストします」と言う。
要求は、1. 看護師・介護員の大幅増員、2. 賃金職員の正職員化。後遺症ゆえの不自由な体では、介護がなければ犬食いになる、嚥下障害による事故が多発していると訴えると同時に、自分たちを介護する非正規職員の待遇改善を求めた。 ひとは誰もが最後まで人間らしく生きる権利があるのだと気づかされる。80歳を過ぎて「ハンストします」などとは、闘いつづけてこなければ絶対に言えない。そして働く人びとを気づかう。

47年重監房撤廃運動、49年化学治療薬プロミン予算獲得闘争、51年「癩予防法」改正闘争、66年国民年金適用、96年「らい予防法」廃止、2001年国賠訴訟全面勝訴、2008年ハンセン病基本法制定百万人署名運動……「闘うハンセン病者」の長き歩みがあり、そのシンボル的存在が谺雄二さんだった。

2014年2月23日。年末に谺雄二さんに肺がんがみつかり、猛ダッシュで一日も早い刊行をめざした編者と編集者は、最後の確認に草津・栗生楽泉園にむかった。熊笹の尾根は雪だった。
体重が41キロになり、水が鼓膜の後ろまでたまって耳が聞こえづらくなったと、谺さんは心臓のペースメーカー、酸素吸入器にくわえて補聴器もつけていた。姜信子さんが編者あとがき「谺さん、死ぬふりだけでやめとけや」を声に出して読むと、谺さんは一瞬、片方義眼の両目がころころと丸くなって盛り上がり、お礼を言い、それからすぐに、編集についての的確な指示を出された。藤本松夫さん〔ハンセン病への差別・偏見ゆえに不適正な法手続きにより1962年に死刑執行〕についての詩を入れてくれなきゃ困る!

少年野球チームの帽子をかぶった谺雄二17歳。多磨全生園・望郷の丘で

創作会の仲間と

本書は詩と論考を集成するほか、最近の取り組みも記録した。5月にオープンする重監房資料館、重監房収容者たちを闇から救いだすかのような名簿調査、本名と園名を刻む「人権の礎」建立計画、療養所将来構想(楽泉園をアトピー性皮膚炎治療者のための「温泉特区」に)、福島の子供たちへの支援──最後まで社会とつながり、いのちの証を求めようとする谺雄二さん。私史が戦後ハンセン病史でもある詩文集となった。

  • コラプスの旅
  • 裸足で歩いていた
  • 見知らぬ人が ばかに
  • 恋しくてならぬのだ
  • 親切は祭りめいていた
  • 憎しみは とおく
  • しかも清清しかった
  • すばらしい青空
  • だから それだから
  • ぼくは崩潰コラプスの旅をつづける

谺雄二 書斎にて