みすず書房

森まゆみ『森のなかのスタジアム』

新国立競技場暴走を考える

2015.09.25

なにも変わっていない。7月17日の安倍首相による「現行の新国立競技場建設プラン」白紙撤回から2ヶ月がたち、エンブレム問題も含め連日のように新国立競技場の過去・現在・未来をめぐって報道が相次いでいるが、誰が・何を・どのような目的でしようとするのかがさっぱり見えてこない。前の計画同様、明治公園および道路を隔てて隣接する都営霞ヶ丘アパートも取り壊すようだ。とにかく、いかに建設費を抑え工期を短くするかだけに焦点が置かれ、あとは文科省やJSCの今までの責任者の異動や辞任のニュースだけ。そんななか、「世界に誇れるレガシー(遺産)」ということばを国や施工者側はときに口にするが、彼らの言う「レガシー」とは何なのだろうか。

IOCによると、「オリンピック・レガシー」とは、開催都市をはじめオリンピックを契機として社会に生み出される持続的で長期にわたる、特にポジティブな影響・効果のことで、IOCはその分野として、スポーツ、社会、環境、都市、経済の5分野を挙げている。たとえば「新国立競技場」を考えると、その建設が将来の適切な維持管理費だけでなく、スポーツ振興につながり、人々の交流に役立ち、よりよい周囲の環境との調和を考え、オリンピックを契機とした都市の構想、雇用創出や観光までをいかに射程に入れて考えるか、が課題になる。ご立派で日本の伝統を加味したような建造物だけつくっても、それはレガシーとは言わない。

先日、「手わたす会」の公開勉強会で、ロンドン・オリンピックの招致マスタープラン模型やレガシーマスタープラン、馬術競技場の現場監理に携わられた建築家・山嵜一也さんの話をうかがった。招致成功からオリンピック開催、そして今日まで、さまざまな競技場で仮設を上手に多用するなどムダを省きながら将来の都市構想も同時に考えようとしてきたロンドンの人々の活動の一端を知り、「レガシー」の意味が少しは分かった気がする。

新施設は「既存施設を修理しても使用できない場合に限り建造できる」「地域にある制限条項に従わねばならず、また、まわりの自然や景観を損なうことなく設計されねばならない」とするIOCの「アジェンダ21」を無視して、国や施工者側は前の国立競技場を解体し、新国立建設に突き進んでいった。この前歴はあるが、「レガシー」を口にするのなら、その意味を理解して、長期的なビジョンにたって、事にあたってもらいたいと思う。

いっぽうで、IOCがこのような政策をとるのも、持続的で長期にわたるオリンピック開催がむつかしくなってきているからでもある。本書にも触れてあるように、オリンピックまでは景気がよくなったとしても、その後は経済が失速する。ギリシアの経済危機はオリンピックが一因だという。ミュンヘンは2022年の冬季五輪を、ウィーンは2028年の夏季五輪を、ともに住民投票による市民の反対で断念、今年の7月にはボストンも2024年夏季五輪の招致を断念した。2016年のオリンピック招致に対してシカゴでは「NO GAMES CHICAGO」という市民運動が盛り上がった。オリンピック開催の受け皿は大都市しかなく、しかし今の時代ではオリンピック後は都市の破壊が進むことを人は学びつつある。

新国立競技場建設という問題からは、建築上のあれこれに始まり、この国の官庁や都のありよう、市民や専門家の対応、オリンピックそのものの未来まで、多様な問題がみえてくる。2013年9月の2020東京オリンピック決定から今日までの2年間の活動を詳細に記録した本書は、その全体をはじめて記した点でも他にないものだ。是非読んでください。