みすず書房

かつてない方法的視点を据えて、知識人・内村鑑三を読み解く

柴田真希都『明治知識人としての内村鑑三――その批判精神と普遍主義の展開』

2016.09.21

「内村鑑三」の名を聞いてまず連想する語は、「キリスト教」だろう。日本が激変をとげることになる明治維新のすこし前、1861年に生まれた内村は、少年時代から青年時代にかけて、当時の武家の子弟の多くがたどった道をおなじように進んだ。幼少時から儒教のおしえを受け、やがて、英学校で英語とキリスト教に触れ――明治維新の後、日本につぎつぎに流入してきた主にプロテスタント系のキリスト教の伝播・受容の歴史に、その名はなんども登場し、重要な場面をつくりあげている。

そんな内村について書かれたものは、活動していた当時から現在にいたるまで夥しい数があり、先行研究もあまたある。そのような対象にかつてない方法的視点を据えて向かった博士論文から、本書は生まれた。

E・W・サイードの広く読まれ、引用もされてきた代表的知識人論『知識人とは何か』、そのサイードにも影響をあたえたジュリアン・バンダの古典的知識人論『知識人の裏切り』――そこに提示された知識人の諸性質、要請される責務という問題意識から、内村の豊穣なテキスト群に光をあてる時、従来の研究では詳細かつ明瞭に論じられてこなかった内村の思想のかたちが浮かび上がる。

札幌農学校をへて内村はアメリカに渡ったが、それは、日本社会における精神的亡命者=アウトサイダーとしてのexileだった。かれが何よりも大切にした「単独の自立した個人の知的自由・精神的自由」は、まさにサイードの規定する知識人の像にかさなる。時の権力・権威に立ち向かう動機と原動力が、言論統制下の日本でどのようにその批評の表現に形成されてきたか。世界、人類、さらに宇宙の一個人という立場から、偏狭で自賛的、排他的なナショナリズムを批判していく技法。さらに、内村にとって聖書研究が「普遍的な価値の実現を追い求める知識人の、独立した社会事業」という自覚的な営みであったこと。さらに、理論的な参照枠はバンダに移り、「知識人の政治化」という点から内村の言動と思想が読み解かれる。

従来と異なる道具立てによって内村鑑三を世俗社会史に明け渡す、ユニークで刺激的な試み。