みすず書房

東京・池袋の少年時代 会心の庶民史

斎藤貴男『失われたもの』

2016.11.30

11年間のシベリア抑留から帰還した父と東京大空襲の被災者だった母。東京・池袋で鉄屑屋を営む家庭に育った記憶と昭和の空気を綴り、現代社会のゆくえを予見する『失われたもの』は、著者の初エッセイ集にして、会心の庶民史となった。

著者・斎藤貴男氏には、高橋哲哉(哲学者)との対談『平和と平等をあきらめない』(2004年4月、晶文社)という本がある。本書の前史をなしている。
ときは2001年に発足した小泉純一郎内閣が規制緩和による「構造改革」路線をひた走り、自衛隊がイラク戦争に派遣されたさなかであった。
紹介文はこうだ。

人が人を見下すことが日常化しなければ、戦争はできない。不平等が拡大した階層社会と、自国を疑うことのない愛国心が整ったとき、戦争は遠くないだろう。
憲法改正が迫るこの社会をどう見るか。私たちがあるべきものとしてきた「平和と平等」の理想はどこへ行ってしまうのか。

「応答責任」「戦後責任論」や「犠牲」の哲学を展開して立ち位置を揺るがさない高橋氏。教育における「機会の平等」という戦後の建前が崩れて、生育期の経済的格差がそのまま社会的不平等にむすびつく事実を著書『機会不平等』で明らかにした斎藤氏。
二人はともに1950年代に生まれ、父親が日本軍兵士として応召した最後の世代であり、戦後民主主義の理想がまがりなりにも尊重されていた時代に育った。大学入学時には学生運動は終息しており、「しらけ世代」と揶揄されていたのに、自分たちはなぜ「平和」や「平等」にこだわるのかを、少年時代にさかのぼって語っている。

たとえば斎藤貴男氏は自分をこんなふうに表現した。

世の中とは面白いものだ。鉄屑屋の家業を継ぐつもりで商学部に入学し、簿記の二級も所得。父に死なれてマスコミへの志望に転じたが、政治や事件を扱うメジャーな新聞記者への夢ははたせず、産業専門紙の記者を振り出しに、なにかを書きたいというよりも、ただだれにも使われたくないという思いだけでもがいてきた経済畑の自称ジャーナリスト……

あれから12年。
2006年9月に安倍晋三氏が首相に就任。12月に教育基本法改正を果たした。 翌年9月に体調不良を理由に首相を辞任。後任に福田康夫氏、麻生太郎氏がつづき、2009年の総選挙で民主党に政権が渡った。
米海兵隊普天間飛行場の県外移設を打ち出した鳩山由紀夫首相は排除され、管直人首相は2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故に見舞われて退陣。
野田佳彦氏が新首相の座に就くが、2012年12月の総選挙で敗退。
第二次安倍政権が現在につづく。

「愛国心」の押しつけとして教育界を中心に反対運動が盛り上がった「改正」教育基本法が公布・施行されて、この2016年12月でちょうど10年になる。
平成生まれの若い人には「平和と平等をあきらめない」という言葉のニュアンスも、もはや実感がないだろう。口にするのもとまどう言葉になってしまった。
この10年で、戦争と戦後民主主義の空気を知っている世代の多くの方が亡くなった。だからなおさら、「戦争を知っている親」から生まれた「戦争を知らない子どもたち」の世代には、今やるべきことがあると思う。
『平和と平等をあきらめない』の最終章のタイトルは「あしたのジョーを泣かせるな」だった。
ちばてつや氏描く漫画『あしたのジョー』の主人公・少年院出身のジョーこと矢吹丈のような少年が大きく羽ばたいて生きられるような社会であるように、という願いが込められていた。

『失われたもの』の最終章は、「スパイラルの縁で──『紫電改のタカ』と25年ぶりのちばてつや氏」。斎藤貴男氏のインタビューに答えた、ちばてつや氏の言葉からはじまる。

「今、なんかこう大ーきな渦があって、私たちはその縁(ふち)の方にいるんですよ。まだね。でも渦なんだ。中に入っちゃったら、誰がどうしようが出られない。そこへ入っていく、スパイラルになって、自分から。そういうことにならないように──」

『失われたもの』は、瞳の美しいジョーのパネルを前にしたちば先生と著者の写真で閉じられる。
本の中から、ちば先生とジョーがあきらめない人を励ましてくれている。

刊行記念トークイベントが開かれます

斎藤貴男/永江朗 トークイベント「社会派ノンフィクションを書く根拠」が、12月13日(火)19時より、東京堂書店 神田神保町店6階の東京堂ホールで開かれます(参加費500円、要予約)。