みすず書房

今、世界の多くの国で肥満が増えているのはなぜか。進化生物学の視点から

M・L・パワー/J・シュルキン『人はなぜ太りやすいのか――肥満の進化生物学』山本太郎訳

2017.07.20

今、世界の多くの国で肥満が増えている。肥満は2型糖尿病、脂肪異常症、心疾患だけでなく、がんとの関連も示唆されており、現代における最も深刻な健康問題のひとつに数えられるに至っている。肥満はおもに、摂取エネルギーが消費エネルギーを恒常的に上回る結果として起こる。普通に考えれば、貧困による食料不足は痩身を、経済的余裕がもたらす飽食は肥満を招くだろう。しかし近年の肥満は、開発途上国でも深刻となっている。ファストフード大国アメリカは、肥満が顕著に増え始めた20年前から肥満者の割合は一貫して多いが、最近は貧困層での増加が著しい。世界レベルでは、過剰体重者割合のトップはクック諸島である(2014年のWHOのデータ)。

ファストフードはいかにも体に悪そうであるし、そればかり食べていたら太るだろう。しかし、人はなぜファストフードに代表される脂肪の多い食事や、甘い飲料を好むのだろうか。食事の内容が変わったことが、近年の肥満流行をすべて説明するのだろうか。なぜ、この20年ほどで一気に肥満が増えたのだろうか。

本書はこうした疑問を、おもに進化生物学の視点から追究した力作である。タイトルからは、ちょっと体重を減らすための便利な情報が満載という印象を与えてしまうかもしれず、それについては悩んだのだが、手軽な本ではない。しかし、本書を一言で言い表そうとして、自然に「人はなぜ太りやすいのか」にたどり着いた。本書の洞察によると、環境さえ整えば人は容易に太るようにできている。というのも、人類の種としての誕生以来、食料がありあまって太れる環境というものは稀で、通常はエネルギー収支をマイナスにしないために苦労してきた。人の体は何万年もかけて、痩せすぎて体力を失ったり餓死しないための安全装置を発達させてきた。太ることへの歯止めはあまり必要ではなかった。それがないことで問題が生じるようになったのは、つい最近のことなのである。単純な理屈だ。とはいえ過去の進化的適応の痕跡が、私たち一人ひとりの体に濃厚に刻印されているという事実は重い。即席な方法では、肥満は解消できないだろう。

ではどうしたらいいのか。その答えもじつは単純なのだが、実現への道のりは長くなるだろうし、近道はないと思い知る、ただし暗い落胆とともにではなく、納得とともに思い知らされるのが本書の真骨頂である。たとえば、食欲を抑制するレプチンというホルモンがある。しかし、レプチンを投与すれば痩せるという単純な構造に、人の体はなっていない。レプチンはおもに脂肪組織から分泌されるので、大量の脂肪は大量のレプチンを産生するが、肥満の人の食欲がそれによって減退することはないし、肥満の人のうち、レプチン欠損が確認できた例は少ない。レプチンのおもな機能は、体に蓄えられたエネルギー量や肥満信号を脳に送ることにある。人体の生理が総じて痩せすぎを防止する方向に働いているからには、このレプチンも低濃度時に食物への欲求を高めるほうの作用に意味があるのではないか。本書によって明らかになるのは、人体の生理は非常に複雑で、ひとつが機能しなくなってもそれをバックアップする体制が念入りに仕組まれているということである。それを人為的に操作することで手っ取り早く痩せることができるのか。難しいし、思わぬリスクを伴うのではないかと考えざるをえない。

近道ではないが、健康への単純な答えのひとつは運動である。人は食物を得るためによく体を動かす種として進化してきた。体がそのようにできている。ところが先日、生活習慣病という呼称に疑問を呈する意見を耳にした。経済的困窮から長時間労働を余儀なくされ、生活リズムが乱れる。栄養バランスのとれた食事を用意する時間も気力も残らない。ましてや、スポーツをする時間やお金などない。生活習慣病という呼称には「あなたの生活習慣が悪い」という含みを感じるが、この状況で一体どうしろというのか、と。こうしたケースは増えているだろう。人が人らしい健康を保つには、政治と経済から着手しなければならないのかもしれない。もちろんそれは本書の扱うところではない。しかし、人の健康というテーマは、カロリーや血糖値や体脂肪のことではなく、もっとずっと大きい。本書の一貫したメッセージである。