みすず書房

[解説エッセイ] 「PPMM」(佐藤直樹)

M・モランジュ『生物科学の歴史――現代の生命思想を理解するために』佐藤直樹訳

2017.03.15

訳者の佐藤直樹先生より、著者のモランジュ教授とフランスの生物学史の伝統について、エッセイをお寄せいただきました。

PPMM(パリ、パスツール、モノー、モランジュ)
――生物科学の歴史の証人たち

佐藤直樹

今回、みすず書房からミシェル・モランジュ著『生物科学の歴史』の翻訳を刊行することとなった。モランジュ教授はパリの高等師範学校ENSのカバイエス・センターの所長であり、生物学史・生物哲学の世界的権威である。モランジュ教授はもともとパスツール研究所(パリ)で分子生物学の研究をしながら、パリ大学で生物学史の研究(分子生物学の歴史)を並行して行い、両方の学位を取得され、生物学史・生物哲学の分野でも理系側を代表する研究者である。
分子生物学の歴史を語るには、文系の哲学出身の研究者ではどうしても理解が難しいように見えると常々感じているが、どちらにも通じたモランジュ教授はすばらしいお手本である。私も彼を見習いつつ、少しでもその域に近づきたいと思っているなどと話したばかりである。

教授と知り合うきっかけは、2年前(2015年)に参加したモントリオール(カナダ)での生物哲学の国際会議であった。私はジャック・モノーの『偶然と必然』から約40年が経過し、現在の知識からこの著作を振り返ってみるのは、ちょうど分子生物学の歴史を考察することにもなると考え、そうした話を学会で発表したのであるが、残念ながら聴衆はごくわずかであった。それでもモランジュ教授にそのことをお話しすると、同じ年の秋にパスツール研究所で開催されるモノーらのノーベル賞受賞50周年記念シンポジウムのことを教えていただいた。秋にパリを訪れたときには、私が考えていることをじっくりとモランジュ教授に話し、自己組織化や創発に関するモノーの考え方についての私の関心を理解していただいた。これについてはあとでもう少し説明する。

生物について人々は何を考えてきたか

モランジュ教授は現代生物学の歴史に関する著書を数多く書かれており、英語に翻訳されたものがいくつかあるものの、日本語への翻訳はなかった。内容的に日本で出版されている分子生物学の解説書とかぶる内容が多く、あえて翻訳する意義が見いだしにくかったのだと思う。ところが2016年1月にポケット版で刊行された『生物科学の歴史』は、生物学の歴史全部にわたる生物思想の考察ということで、その仕事の規模といい、独創性といい、これまでの生物学史の書物にはないものをもっていた。
一番のポイントは、生物自体の歴史がそうであるように、生物学の歴史も偶然に左右されながら、さまざまな要素が相互作用しながら進んできた長い一つながりの歴史だという点である。トマス・クーンをはじめとする多くの科学史が、断絶を強調してきたのとは正反対の態度である。
これは面白いと考えて、早速翻訳の仕事に取りかかり、ほぼ一年で刊行にこぎつけることができた。図が一枚もない生物学史の本などこれまでにない。つまりこれは発見の歴史ではなく、生物について人々が何を考えてきたかの歴史なのである。私はもともと植物分野を中心として研究をしていて、生化学、分子生物学などかなり幅広い内容を勉強してきていたとはいえ、動物行動学のようにあまり知らない内容については、この機会に大いに勉強させてもらった。

モランジュ教授とパスツール伝

本書刊行直後にたまたまパリで調査研究をする機会を得た。モノーに関するパスツール研究所の保存資料を閲覧し、併せて、モランジュ教授ともお会いすることができたので、その一端を紹介したい。

日本語版にサインをしてモランジュ教授に渡すと、表紙の写真にも関心を持ってくださり、ボルボックスの写真を自分で撮影した話などを説明した。分子生物学の実験をする研究はしばらく前にやめ、机に向かってする歴史の研究にシフトしたのだそうであるが、やはり生物そのものにも依然として興味をお持ちのようである。
また、原著はスイユ社のポケット版(1000円くらい)であり、それは多くの学生に読んでほしいからだそうだが、みすず書房の立派な体裁の本もたいそう気に入ってくださった。数多くの書籍を書いておられる教授ではあるが、日本語版が出るのは初めてである。どこに名前が書いてあるのか、日本語には漢字と仮名があるがそれはどうやって習得するのか、それらの使い分けはあるのか、縦書きのページは右から読むのかなどの質問に対して、さまざまなことをお伝えした。ヨーロッパの人々は相当高学歴の人でも、日本文化についてはほとんど知らない。少しずつでもこうして知人に伝える重要性を感じた。

翻訳作業の途中で、モランジュ教授には何度も、本文の内容に関して問い合わせをし、また間違いを確認したりもした。そのことについても、スイユ社の次の版では訂正したいと言っておられ、追加の訂正などの情報も後日お伝えすることをお約束した。出版前に読んで批評してくれる人は何人かいたのだそうだが、やはり細かい修正点は、一語一語丁寧に翻訳するような作業の中でしか出てこないということだろう。
翻訳というと、普通はただ元の文章を翻訳するだけと思われがちだが、このように内容にも踏み込んで、詳しく検討するという役割も担いうるという点は、これまで私が手がけた翻訳書でもあてはまり、翻訳者の積極的な役割として、今後も考えていくとよいだろう。
ただ単に言葉がわかるだけではできないことなので、英語以外の外国語をマスターしたそれぞれの専門家が大切になる。特に理系の人材が足りない。ちょうど東大ではトライリンガルプログラム(三つの言語という意味)が走りだし、英語ともう一つの外国語をマスターするしくみが動き始めているが、私が以前から主張してきたことがようやく日の目を見たと少し安堵しているところである。

モランジュ教授の次のテーマはパスツールの科学的業績をまとめた伝記を書くことだそうで、4年後を目標にしている。その途中で定年を迎えるそうだが、名誉教授として研究を続けていくことはできるのだと言っておられた。
私も以前にパスツール研究所の所長であるマクシム・シュワルツ教授が書いたパスツールの伝記を翻訳したが、そこでは批判的な内容はなかった。その後、アメリカの研究者により、現代の科学の慣行に照らしたパスツールの研究の社会的・倫理的問題点が厳しく指摘される本が出版されたが、モランジュ教授は、それはあとからの批判であるので、適切ではないと考えている。
パスツールは日本ではあまり知名度はないが、フランスではナポレオンほどではないにしても、圧倒的な英雄である。その研究業績をどのように評価して、単なる賞賛だけ、あるいは批判だけではない伝記をいかに作り上げるのか、新たな挑戦であろう。

モノーの未完の書

そろそろPPMMのもう一つのM、ジャック・モノーについて語ろう。モノーは1965年に大腸菌の遺伝子発現制御の研究で、同僚のルヴォフ、ジャコブとともにノーベル賞を受賞したが、なんと言っても1970年に刊行された哲学的考察『偶然と必然』で世界的に有名である。みすず書房からは1972年に渡辺・村上両氏の翻訳による日本語版が刊行され、40年の長きにわたるロングセラーとなっている。とはいうものの、この翻訳は必ずしも読みやすいものではなく、また、モノーの思想が読者にどれだけ伝わったのかもはっきりしない。
それだけ難解なモノーの考えの一端を何とかひもとこうと、私は数年前からモノーのさまざまな著作の研究を始めた。その成果の一部は既に述べたように、おりおりの学会でも発表してきているものの、やはり元の資料に当たって調べることが必須であった。2年前にも一度パスツール研究所の資料室(アーカイブ)にお邪魔して、モノーの未完の著書の原稿などの資料を閲覧した。特に『酵素学的なサイバネティクス』は、ラクトースオペロンのモデルをさらに発展させて、生物の遺伝子制御のしくみを広く考察した著書となるはずだったが、その時にはデジタル化の途中で、原稿の本体を閲覧することができなかった。現在ではパスツール研究所のホームページから閲覧可能になっている。
そのほか『生化学の原理』には、1959年当時の生化学の考えがまとめられており、今から見ればミトコンドリアのATP合成のしくみすらわかっていなかった状況で、モノーがそれでも生命の本質を理解したと思い込んだ背景が見えてくる。DNAの塩基配列ももちろん何もわかっていなかった当時、人々は何を考えて「生物学の飛躍的な進歩」をかみしめていたのだろうと想像してみるが、当時の研究者の考えたことは、1970年でもまだ学生だった私には十分につかめない。

モノーとプリゴジーン、アイゲンとの関係

今回の調査の目玉は、既に1970年当時に自己組織化や創発性を理論化していたプリゴジーン(ベルギー)やアイゲン(ドイツ)とモノーとの関係を確認することだった。
アイゲンは当時できたばかりのヨーロッパ分子生物学機構(EMBO)の主要メンバーとして、モノーを含む(主に教育の)プロジェクトを1968年頃に動かしていたようである。手紙のやりとりを見る限り、1971年ごろ以降は両者の関係は疎遠になったようである。特に『偶然と必然』のドイツ語版(1971)の序文でアイゲンがかなり批判的なことを書いていたことも関係するかもしれない。
自己組織化は遺伝子ネットワークなどの複雑なシステムの発展から生まれると考えられ、いわばモノーの遺伝子制御モデル(オペロン説)の発展型であるはずだった。そのため、当初はアイゲンとの協力関係がつくられたのだろうが、その後、モノーは自己組織化を「アニミズム」の一種として拒否するようになる。機械論的な相互作用の中から新たなシステムの特性が創発するという自己組織化の考え方は、ある意味では進化に方向性があると解釈でき、純粋に偶然だけが作用する進化のたどる道筋も偶然であると考えるモノーには受け入れられなかった。モノーが考えるテレオノミー(合目的性)はあくまでもタンパク質の構造の中に内在しており、純粋な機械論で理解すべきものであって、タンパク質と遺伝子がつくるネットワークの問題ではなかったようである。

プリゴジーンはゆらぎがもとになってできる散逸構造の重要性を説いた。さらに、モノーが考える偶然性にさいなまれる人間存在を否定し、もっと自由な人間の姿を考えたことは、後の著書『混沌からの秩序』(翻訳された第二版ではなく、原著初版)に詳しく述べられている。プリゴジーンは、『偶然と必然』の中でモノーが書いていた考え方を一貫して批判する手紙を書いていたが、モノーの側からの明確な反論の手紙は残されていなかった。
モノーは1975年の講演がもとになった雑誌の記事の中でプリゴジーンの研究について言及したようだが、プリゴジーンはそれに対して誤解していると非難する手紙を送り、モノーも、雑誌の編集者が勝手に間違えたというようないいわけをしている。いずれにしても、この時期には関係が相当悪化していたようである。

端から見ると、物理的なモデルから生物学の基本を考えるという、きわめてよく似た志向のモノーとアイゲン、プリゴジーンの間で、これほどまでに根本的な意見の違いが露呈するということは不思議である。生物のテレオノミーをどのように解釈するのか、モノーの主張はあくまでもかたくなである。
生物のテレオノミー、偶然、必然をどのように理解すべきかについても、モノーは1971年のベルギーでの講演で改めて述べていた。ポアンカレなどが定式化した一般的な偶然の解釈とは異なり、偶然は無知の表れではなく、対象(遺伝子の変異)の観察そのものによる事実だと強調している。モノーが実際に明らかにしたことと、彼が心に信じていたこととが、次第に乖離するようになったのかもしれない。

『偶然と必然』の手書き原稿

最後に『偶然と必然』の手書き原稿について述べておこう。そこでは9個ある章の半数で、もとのタイトルが異なっていたことがわかる。しかもそこに含まれていた言葉は、最終版でもその章の最初の文章に含まれている。たとえば第1章は「不可思議な対象」(邦訳では「ふしぎな存在」)であるが、もともとは「人工的な対象としての生物」となっていた。奇しくも後にドーキンスが「盲目の時計職人」がつくったと表現したように、巧みに人がつくったものであるかのような合目的性をもつものが生物だということなのだが、確かに混乱してしまう表現である。しかしこうした原稿の変遷を見ることによって、モノーが本当に何を考えていたのかに近づくことができるようになるだろう。

もう一つ重要な変更点は、第9章の中程に本来入るはずだった5ページほどの文章が、途中から削除されたことである。確かにこの部分はメモ書きのような書きぶりで、あまり本文として適していないように見える。なにぶんにも手書きのため、まだ完全に解読できていないが、読んでいるうちになぜか自然と読めるようになってきた。しかしまだ、その中身や削除の理由などについて語ることはできない。いずれにしても、このような丁寧なテクストの解析を経て、よりよい理解が可能になるものと思われる。

私自身、5年ほど前に『40年後の「偶然と必然」』(東京大学出版会)を書いて以降も、少しずつモノーに関する研究を進めてきたのだが、こうした成果をもとにして、いずれ『偶然と必然』の新たな訳を手がけることも可能になるかもしれない。その頃までこの本への関心が途絶えないだろうかとも思う。生物の本質に関する疑問は依然として解決されておらず、そうした意味では、『偶然と必然』もいつまでも「問いかけ」(邦訳の副題)としての価値を持ち続けるのではないだろうか。

最近はやりの言葉をまねてPPMMと銘打ってみたが、これらの深い関係について、少しでも理解が進むことを願うばかりである。

copyright Sato Naoki 2017