みすず書房

生成途上の情報社会に関するランニングコメンタリー。「著者からひとこと」

大谷卓史『情報倫理――技術・プライバシー・著作権』

2017.05.01

著者からひとこと

大谷卓史

本書は、いまだ生成途上にある情報社会に関するランニングコメンタリー(実況中継・解説)である。

情報通信技術(ICT)が深く広く浸透した社会が情報社会と呼ばれるとすると、絶え間なく新しい技術やサービスが登場し、その技術やサービスが利便性や娯楽・慰謝、安全などをもたらす一方で、さまざまな摩擦や軋轢、規範の揺らぎなどの課題ももたらす。情報倫理学は、とくに規範・倫理に関する情報社会における課題(「指針の空白」policy vacuum)の指摘と解決に役立つことを目指して展開してきた学問だが、同時に、情報社会を理解し、そこでよりよく生きるために役立つ学問であると考える。

本書は、情報倫理学の視点から、情報社会で起こっているさまざまなそのときどきの事象を取り上げ、考察したものである。本書では、時事的な話題を通して、情報社会がどのようなものであるか考察するための手がかりを得ようとした。つまり、本書は体系的な思想書ではなく、さまざまな話題を通じて、情報社会を理解しようとする試みである。だから、ランニングコメンタリーだと称している。

いまだ生成途上にある情報社会において、法律や慣習などの成立という形でだいたい解決がついた(社会的合意ができた)問題もあるが、いまだよくわからない現象・規範(たとえば、プライバシー)であったり、新しい技術・サービスの登場によって翻弄される規範(たとえば、人工知能や電子教科書をめぐる著作権法)などは数多い。

統一的な視点から解明したと考えても、その視野から漏れる自余の空白から新しい技術や課題が登場したり、基本的概念の定義そのものが揺らぐという事例は、たとえば、プライバシーの歴史が典型的であろう。そもそも感情的危害をその保護法益とする権利が成立するのか、また、プライバシーとは歴史的に生成してきたものか、それとも人類社会に普遍的な何かなのか、その価値はほかの価値に還元可能な蜃気楼のようなものか、それとも固有の価値があるのか――こうした議論に対する解答はさまざまに提出されてきて、法的判断も行われてきたにもかかわらず、現在も論争は終わらない。まずは事例に即して、現在のさまざまな知識や考え方を適用したら、何が言えるか考えてみよう――これが本書の姿勢だ。

本書は、2009年から2017年まで、足掛け9年にわたって『月刊 みすず』で連載してきた「メディアの現在史」に大幅に加筆修正して一冊としたものである。連載当時からの事態の推移に応じて修正や註記を加えた項目や、改めて考察しなおして追加した項目など、さまざまな加筆修正があるが、いずれにせよ相当に手を加えたため、だいぶ分厚い書物となってしまった。しかし、第5章の一部を除き、独立した節から構成されているので、どこから読んでもよい。その節と関係する内容がある節については、それぞれの場所で言及しているので、関連する節をたどりながら読むこともできる。

本書が情報社会を理解し考察するための手がかりとなれば、幸いだ。

copyright OTANI Takushi 2017
(著者のご同意を得て掲載しています)