みすず書房

手紙を交わしていたあの頃、道具もまた個人の道具であった。

アントワーヌ・コンパニョン『書簡の時代――ロラン・バルト晩年の肖像』 中地義和訳

2016.12.12

めったに出かけない日曜午後の銀座、早めに用が済んだのでソニービルに入ってみた。来春解体されるこのビルで臨時営業中の「EDIT TOKYO」が目当てである。上階にあるその書店は、自社の本、好きな本、欲しい本が並んでいて、気持ちのよい空間だった。しかし、そこから螺旋状に歩いて降りながら見物した「It’s a Sony」と銘打ったイベントに思いもかけず心を揺さぶられたのに、われながら驚いてしまった。

上から下へ順に、最新のSONY製品からスタートした現物展示は、年代を遡って行く。ゲーム機など見ても何ということもない。しかし1990年を過ぎた(時間を逆に越えた)あたりから、徐々に胸騒ぎがしてきた。触るなとあるので、見るだけなのだが、完全立方体のトリニトロンに今でも見惚れ、発売直後に買って使った最初のパスポートサイズハンディカムなど、片手に持って操作していた感覚がその場でよみがえり、ウォークマンのぎこちない動きも体感される。さらに降りて外国の短波がよく入ったラジオ、1960年代後半のオープンリールデッキまで来ると、周りの若者たちの嬌声が掻き消えて、自身の来し方を身体的に振り返るような錯覚で目頭が熱くなった。冷静に考えれば、要するに自分が年老いたからなのだろう。だが、この20年間道具としてきた歴代パソコンの旧製品を見たとしても生じ得ない感情が起こったのだと思い返している。

ロラン・バルトの草稿類が遺族から寄贈された折に開催された式典に、アントワーヌ・コンパニョンは出かける。「陳列ケースに展示された資料をいくつか眺めているうちに、ある草稿を前にして、不意に体がこわばるような衝撃を受けた。何かの間違いで私の書いたものが紛れ込んだみたいで、あたかも自分の分身に出会ったか、自分の影をなくしたような感覚だった。それはロランが、彼のオリヴェッティで打った数少ない論文の一つだった。私はもうそのオリヴェッティを所有しておらず、何年も前から使ったことがなかった。それでも、自分が文書を作成していたときにそれが打ち出していた活字を依然同定できたのだ。…まるでそれを書いたのが自分であるかのように、ロランの原稿を前にしていた」(本書より)。バルトは電動タイプライターの気性の荒さにてこずり、そのお荷物をコンパニョンに「厄介払い」させた(親切な贈り物だったのかもしれない)。そのタイプを打ってコンパニョンは最初の本『第二の手』を書き上げる。しかしながら、バルトの没後、時代はワープロの時代に移行していった。コンパニョンが「一日か二日逡巡したあと、(しまいこんでいた)タイプライターを街路に出し、ゴミとして捨てた」のは数ヶ月前のことだった。

『書簡の時代』の魅力の一つは、優秀緻密な理論家であるコンパニョンが、ここでは無防備といえるほど気持ちをさらけ出しているところかもしれない。「記憶のなかのロラン」をオブジェで列挙してから、「イメージないし動作」を思いだす。「かつえた人のように指でつかんで貪りながら、あっという間に料理を平らげてしまうロラン。葉巻に触れ、親指と人差し指と中指でぐるぐる回しては、長いマッチでゆっくりと静かに火を点ける、そんな儀式に黙々と没頭しているロラン。バイヨンヌ-ユルト間を、赤いフォルクスワーゲンを運転して走るロラン。…質素で修道院のような小さなアパルトマンでピアノを弾くロラン。…コレージュ・ド・フランスでの講義の最中に、聴講者たちが録音用のマイクロカセットを裏返すのを待ちながら虚空に目をやり、自分はここで何をしているのだろうと自問しているロラン。」

この本を『ロランと私』と名付けるわけには行かなかったとコンパニョンは言う。自分をバルトと比較したり、バルトと同一化したりせず、二人の友情の「各段階をあらためてたどり直し、記憶を掘り起こし、彼から受けた恩恵を確認し、彼が与えてくれたものに感謝することが問題なのだ。」たしかに、そういう繊細な知性にみちた本である。しかし本書のタイトルにはもう一つ大きな愛惜の意味がある。それは、スマホ全盛の今日にあって「われわれが手紙を交わしていた頃」の、戻り得ない時間を取りもどそうとする試みではないだろうか。