みすず書房

『職人の近代――道具鍛冶千代鶴是秀の変容』

土田昇

2017.02.10

「三軒茶屋駅近で大通りに面しながら、何故かなかなか見つからない店、土田刃物店。 大工道具、木工手道具、刃物販売、研ぎ、鋸目立て。道具の使い方、調整方法など、相談に乗ります。」

――店の案内にそうあるとおり、入口は通りから数メートル引っ込んだところにあり、目立つ看板もかかげていない。ガラス戸越しに中をのぞいても商品らしきものも見えない。いっぷう変わったこの「土田刃物店」は、大工道具を作る腕利きの職人と、道具の使いようを知る腕利きの大工を結ぶ販売店。東京で三代にわたって大工道具をあつかってきた。本書の著者である三代目店主の、道具についての知識と人柄にひかれて、鍛冶職人や大工のみならず、建具師、指物師、楽器製作者、美術作家に美大生といった人びとが自然と集う場ともなっている。

道具は、人間をほかの動物から分けるもの、人が人である原点といえるかもしれない。 日本の絵巻物、あるいは西洋中世の絵画にも、さまざまな道具が描き込まれ、それを使ってものを作る人びとの姿に、現代の私たちの生活につながる、とぎれぬ流れが感じられる。 そして人類最初の道具といえば、それは「刃物」だった。

すぐれた刃物を数多く見るなかで、とりわけ著者は、二代目店主である父から千代鶴是秀の人と仕事、仕事への向き合いかたを長年にわたって聞かされ、その作品に接してきた。
千代鶴是秀は、米沢藩上杉家に仕えた刀匠・二代目長運斎綱俊の子として明治7年に生まれた。廃刀令以後の明治という時代に、刀鍛冶から道具鍛冶へと転向した叔父、石堂寿永のもとで修行し、道具鍛冶として身を立てることになる。
〈用を極めて美に至る〉機能美の極致のような鑿や鉋は、それを実用する大工たちから、「道具はいかにあるべきものか」を若き日に教え込まれた是秀の、職人として当然行き着いた地点だった。

そんな是秀の作った道具の中で、唯一ほかと異なるたたずまいを持つのが一群の切出小刀。稲穂、鮎、月、槍鉋……さまざまなモチーフ、誰も挑戦したことのないデザインの切出小刀を、どこまで鉄の表皮表現を工夫しうるかをさぐるように、是秀はつぎつぎに作ってゆく。是秀の「道具たらざるものの美」への逸脱の試みとは何だったのか。

平成26年2月、著者は、高村光雲や朝倉文夫はじめ多くの彫刻家に石膏原型を作った石膏型取師、宮嶋一の遺族から一丁の切出小刀を譲りうける。

〈形状は短冊の一辺を斜辺としただけの単純きわまりないものです。薄手でウラスキも一般的な仕様で、すなわち何のデコレーションもありません。実用道具として必要充分の単純さが、かえって限りない清潔感をただよわせています。唯一、実用性とは無関係なものとして、タガネによる切銘が、丹精で癖のない文字で刻まれています。

“為 宮嶋先生 昭和五年夏”

そして小さな「太郎」の刻印がタガネ文字の下に打ち込まれています。千代鶴太郎が石膏型取師、宮嶋一に作った切出小刀です。――あとがき〉

千代鶴是秀の一粒種である息子、太郎の作――道具の寿命をまっとうするであろう未来を予感させる、道具としての健康さ、素直さをそなえたこの一本の切出小刀に誘われるように、著者は是秀が作った、自由で、流麗で、有機的な雰囲気をもつ一連のデザイン切出小刀の謎にむかって筆をすすめてゆく。

質素な生活の中で、職人の道徳と誇りをもち、実用道具と非実用の美との境界を縦横に往き来して製作した千代鶴是秀を筆頭に、「品格」という言葉がまさにふさわしい職人・工人たち、是秀の作風変化に影響をあたえた芸術界の人びとの興味深いエピソード、さらに道具や技術についてのさまざまな話をからませながら、近代化の号令のもとに変質を遂げていった明治以後の日本を、職人の世界‐非合理の世界から描く。

土田昇『職人の近代――道具鍛冶千代鶴是秀の変容』(みすず書房)カバー