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アン・ブロンテ

Anne Bronte

1820年1月17日ヨークシャーのブラッドフォード近郊ソーントンにブロンテ家五女一男の末子として生まれる。父パトリックはアイルランド出身の英国国教会牧師で、母マリア・ブランウェルはコーンウォールのペンザンス出身。両親ともケルト族の血を引く。その年の4月一家はハワースの牧師館に移る。1821年母の死後、敬虔なメソジストであった伯母エリザベス・ブランウェルに育てられる。1825年長姉マリア、次姉エリザべス相次いで死去。1826年父がリーズで土産に買ってきた12個の兵隊人形をもとにして、シャーロット、ブランウェルレ、エミリとともに「アングリア」と「ゴンダル」の空想世界を創造、発展させる。特にアンはエミリと組み「ゴンダル」に25編の詩その他を寄せる。1835年シャーロットが助教師をつとめるロウ・ヘッド校に入学。このころ宗教上の悩みを経験する。1839年4月マーフィールドのインガム家の家庭教師となる。年俸は25ポンドであった。インガム夫人との間に教育方針などで意見の衝突が生じ、12月に解雇される。この年に副牧師としてハワースに赴任して来たウイリアム・ウェイトマンに密かな思いを寄せる(彼は1842年コレラで死去)。1841年ソープ・グリーン・ホールのロビンソン家の家庭教師となる。ロビンソン家とともにスカーバラを訪れる。1842年シャーロットとエミリは学校開設計画を進めるためブリュッセルに留学。1845年ロビンソン家を辞す。1846年アクトン・べルレの筆名で二人の姉とともに『カラー、エリス、アクトン・ベル詩集』出版。1847年12月『嵐が丘』と合本で『アグネス・グレイ』をT・C・ニュービー社から出版。18488年『ワイルドフェル・ホールの住人』を出版。ブランウェル(31歳)とエミリ(30歳)死去。1849年肺結核と診断され、5月24日シャーロットに伴われてスカーバラへ転地療養に行くが、28日当地で死去。享年29歳。セント・メアリ教会に埋葬された。


 

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