みすず書房

ポール・ヴァレリー

Paul Valery

1871年10月30日、南仏の港町セットに生まれる。ユゴーに触発されて13歳から詩を書き始める。1890年5月26日、ピエール・ルイスと出会う。その後、ルイスを通して、ジッドを紹介される。また、マラルメの「火曜会」の常連になるなど、パリの作家たちとのつながりができる。1892 年秋、19歳年上のロヴィラ夫人にたいするかなわぬ恋情や知的絶望感から、ジェノヴァとパリでたてつづけに危機に見舞われ、詩作を断念する。1894年ごろから日記『カイエ』を書き始める。1895年、『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法への序説』。1896年、『ムッシュー・テストと劇場で』。1897年、陸軍省入省。1900年、画家ベルト・モリゾの姪ジャニー・ゴビヤールと結婚。アヴァス通信社社長エドゥアール・ルベイの私設秘書になる。1901年、陸軍省を辞職。1917年、長詩『若きパルク』で文壇に復帰。1920年、カトリーヌ・ポッジとの恋愛始まる(1928年まで、断続的につづく)。1921年、対話作品『エウパリノス』『魂と舞踏』。1922年2月、ルベイの死去とともに失職。同年6月、詩集『魅惑』。1924年、評論集『ヴァリエテ』(以後1944年の『ヴァリエテV』まで順次刊行)。1925年、アカデミー・フランセーズ会員に選ばれる。1932年、『固定観念』。1937年、コレージュ・ド・フランスの詩学講座担当者に任ぜられる。1941年、『わがファウスト』初版。1945年7月20日、死去。ドゴールの命により国葬をもって送られる。