みすず書房

エルンスト・H・カントロヴィッチ

Ernst Hartwig Kantrowicz

1895年、ドイツ領ポーゼン(現在のポーランドのポズナニ)に生まれる。第一次大戦では祖国のために進んで志願兵となり、戦後も左翼を鎮圧する軍で闘うなど、根っからのドイツの愛国主義者であった。ハイデルベルク大学での詩人ケオルゲとの出会いは大きく、その影響下で1927年、処女作『皇帝フリードリヒニ世』を発表、1932年にはフランクフルト大学の正教授に就いた。しかし翌1933年、ヒットラー政権下でのユダヤ人公職追放に抗議し、翌年辞任、「水晶の夜」事件後にはアメリカ亡命を余儀なくされた。1939年からカリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとり、反コミュニズムの嵐に巻き込まれた1950年代、プリンストン大学高等研究所の教授になった。1957年には主著『王のふたつの身体——中世政治神学の研究』が刊行されている。1963年歿。遺言には「出版可能なかたちにされていない遺稿を死後に出版してはならない」とあった。