「みすず書房」ページ内リンク

  1. 「メインメニュー」へ移動
  2. 「みすず書房の本の検索メニュー」へ移動
  3. 「本文」へ移動
  4. 「サイト利用ガイド」へ移動



今井武夫

いまい・たけお

1898(明治31)年、長野県上水内郡朝陽村(現在の長野市)に生まれる。1915(大正4)年長野中学卒業後、1918(大正7)年陸軍士官学校(30期)卒。兵科は歩兵。富山、ついで朝鮮会寧の歩兵連隊付将校を勤める。陸軍士官学校(41期)区隊長、陸軍大学(40期)などを経て、1931(昭和6)年3月、参謀本部第2部支那課支那班に配属され、同年12月、参謀本部付中国研究員として、中国駐在を命じられ単身赴任する。1933(昭和8)年7月から参謀本部付のまま、4ヵ月間奉天特務機関員をつとめる。同年12月に参謀本部に戻り、1935(昭和10)年12月から駐華大使館付陸軍武官補佐官(通称「北京武官」)として家族を帯同して北平(北京)に勤務。1937(昭和12)年7月の盧溝橋事件の際には、現地で停戦交渉に当たった。1937(昭和12)年10月、参謀本部支那班長、ついで支那課長となる。この頃から日中和平工作に積極的に関与。その後、福山歩兵第141連隊長、マニラ防衛司令官、大東亜省参事官、支那派遣軍総参謀副長などを歴任し、終戦時には、岡村寧次支那派遣軍総司令官らと国民政府への投降文書に調印した。終戦後しばらく南京に残り、渉外部長・南京総連絡班長を務め、戦後処理にあたる。1947(昭和22)年1月復員、予備役。1982(昭和57)年6月、死去。享年84。


 

今井武夫 の書籍一覧

  • 日中和平工作
    日中和平工作回想と証言1937-1947
    [著者] 今井武夫   [監修] 高橋久志   [監修] 今井貞夫  
    〈私が独断で協定調印と同時に、日本軍の自発的撤退を発言したのは、記述の通り日本軍の戦略態勢が極めて不利で、且つ危険であったから、敢てこの提案をしても、却て日本軍の現状に適合するので ...
    • A5判 タテ210mm×ヨコ148mm/424頁
    • 定価 17,280円(本体16,000円)
    • ISBN 978-4-622-07438-0 C3021
    • 2009年3月25日発行