みすず書房

ミレナ・イェセンスカー

Milena Jesenska

(1896-1944) チェコのプラハに生まれた。1918年から24年までのウィーン滞在中に、チェコスロヴァキアの新聞にエッセイを寄稿し、また独・仏・露・英文学からの翻訳も行った。フランツ・カフカのいくつかの作品の最初のチェコ語翻訳者。1920年からカフカと文通を重ね、カフカからの手紙が『ミレナへの手紙』として後世に残された。プラハに戻った後、『ナーロドニー・リスティ』紙で家庭・婦人・モード欄を担当。『簡素への道』『どんなにめかしても馬子は馬子』などを出版。1930年代前半共産主義に傾倒したが、その後離脱し『プシートムノスト』紙で、亡命者の実態や国境地帯の様相をはじめとする社会問題に取り組む記事を書いた。非合法運動に参加。1939年捕らえられ、証拠不十分で不起訴となったが、保護拘留の後、ラーヴェンスブリュックの強制収容所に送られた。そこで後に『カフカの恋人 ミレナ』を著したマルガレーテ・ブーバー=ノイマンと出会い、深い友情で結ばれた。ドイツ敗戦のおよそ1年前に収容所にて病死。