みすず書房

マリー・キュリー 1

MARIE CURIE

判型 四六判
頁数 456頁
定価 5,830円 (本体:5,300円)
ISBN 978-4-622-03670-8
Cコード C1023
発行日 1999年11月25日
備考 現在品切
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マリー・キュリー 1

ラジウム発見から100年。その業績がキュリー夫妻のものであり、二人の放射能発見に対してノーベル物理学賞が贈られていることを知らない人はいない。この発見は20世紀物理学の進展とともにますます重みを増し、マリーは1911年に単独で、放射性元素の発見に対する二度目の賞(化学賞)を受けた。女性初のノーベル賞受賞であり、再度の受賞例はほかにない。

しかし、マリーについてどれだけのことが知られているだろう。「目に悲しみをたたえた黒衣の聖女」、ほんとうだろうか。

エーヴ・キュリーが母親の擁護のために不朽の名作『キュリー夫人伝』を書き上げたように、クインはきわめて現代的なフェミニスティックな動機からこの仕事にとりくみ、そして見事に成功した。本書では近年初公開の資料——夫ピエールの死後一年間にわたるマリーの日記や、同僚の科学者ランジュヴァンとの恋愛スキャンダルに際した友人たちの証言集などが駆使される一方、従来の資料にも新たな息吹がふきこまれ、時代背景と科学界のこまやかな描写とともに、あふれるばかりに感情ゆたかなマリー像が生涯にわたって再現される。

目次

まえがき
1 家族——信念の人々
2 二重生活
3 つらい日々
4 貴重な自由
5 美しいこと
6 願いのすべて
7 ラジウム発見
8 物質論
9 ノーベル賞
10 家族への回帰
11 悲嘆と絶望
原注

ラジウム研究所の日本人研究者・山田延男博士

『マリー・キュリー』2の686-687ページに登場する、帰国後まもなく放射線障害で夭折した「日本の化学者ノブ・ヤマダ」は、山田延男博士(1896-1927)です。山田博士は東京帝国大学教授で、1923年から25年までラジウム研究所に留学し、マリー・キュリーの指導を受けてポロニウム、ラジウム、トリウムなどから放出されるα線の飛程について研究。帰国後まもなく原因不明の病に倒れて31歳で逝去されます。ラジウム研究所初の日本からの留学生でした。