みすず書房

「写真展とは、写真家が見たものを彼から直接受け取る場所でもある。写真家の眼から観客の眼へと〈まなざし〉が受け渡されるのだ。眼から眼へ、ときには火花を散らすように激しく、ときには水の流れのように緩やかに、見えないイメージが受け継がれていく。」

ギャラリーや美術館、写真展の現場でいま何が起きているのか。デジタル画像が日常化し、ネット上でのヴァーチャル写真展が盛んな今日でも、暗室でプリントされた平面のフレームととじかに向きあい、写真家自身のまなざしの場に立ちつくす経験は、他の何ものにも代えがたい。

つねに写真の現場に伴走しつづける写真評論家、飯沢耕太郎が、展覧会場で作家本人にインタビューをし、展示の仕組みからテーマにいたるまで、生ものとしての「写真展」により添いながら、現場の臨場感をつたえる、まさに「紙上展覧会」と呼ぶにふさわしい書物の登場である。

白岡順、長島有里枝、オノデラユキ、北島敬三、石元泰博、荒木経惟、野口里佳、川内倫子、佐内正史、松江泰治、石内都、東松照明、森山大道、畠山直哉、大西みつぐ、高梨豊、瀬戸正人、川田喜久治、米田知子、小林紀晴、中村征夫、蜷川実花、中平卓馬ほか、現代日本の写真界をリードする写真家たちによる写真展会場から、そのユニークな作品世界にこめられたメッセージを、写真図版とともにお届けする、ライブ感あふれる新世紀の写真展論。

著者からひとこと

副題が示すように、2001年1月号から『アサヒカメラ』誌に3年間連載した写真展評をまとめた本である。

僕はここ20年ほど、フリーの写真評論家として仕事をしている。その土台になっているのは、やはり展評と書評ではないかと思う。写真家たちの表現の現場になるべく近いポジションにいて、できるだけ素早く、正確に反応していくということだ。建物も土台がしっかりしていないとすぐ壊れてしまうように、写真評論の仕事も、そこをしっかり押さえていないとぐらぐらしてしまうことになりそうだ。

本文にも書いたように、この展評を連載していた時期には、月に50〜60ほどの写真展に足を運んでいた。じめじめした梅雨時や、冬の寒さが厳しい頃はけっこう辛い。それでもごくたまには凄い展示に出会えることがあるから、ギャラリー回りをさぼるわけにはいかない。これだけ歩いていると、「けもの道」のように自然にギャラリーを回る順番が決まってくる。時には思いがけない人に何年かぶりで会ったりもする。そんなギャラリー回りの愉しみを、本書を読むことで共有していただけたらとても嬉しい。

みすず書房の浜田優さんとひさしぶりで仕事が出来たのも嬉しかった。彼が未来社の編集部にいた頃、『写真の現在』と『同時代写真』という2冊の「クロニクル」本を一緒に作った。今や1990年代の日本写真史の貴重な資料となっている。この本も、そんなふうに読み継がれていくといいと思う。(2004年6月 飯沢耕太郎)