みすず書房

〈湾岸戦争この方、バブルのようにくり広げられてきた「正義」の横行を、一度見直すベき時が来たのではないか。肥大した正義は問題の解決にならない。しかもその正義が第三者の判定を受けないなら、多国間の秩序は一層不安定になるだろう。そこにおいて、国連平和体制の基本原理であったはずの多国間主義も、「帝国」の行動を掣肘するような原理として働くとは限らないことが明らかになりつつある。残された希望は、それでも多国間の枠組みを活用して無益な戦争を避けようとする国々と、公式の多国間枠組みの外で戦争反対を唱える人々である。国際社会の「多数意思」は、いまや公式の多国間枠組みを見ただけでは判断できなくなっているのだ〉

国連問題を中心に、平和と人道のために現代世界に関与してきた著者の長年の思索のエッセンスを、一書にまとめる。冷戦構造の解体から湾岸戦争、「民族紛争」、9・11、イラク戦争、国連安保理問題まで、その冷徹な現状分析の背後には、陶酔せぬこころでつねに事態に対処していく精神が息づいている。

目次

夕暮れの風から——普遍的正義のためのノート
I
良心的兵役拒否国の証しのために
——ポスト冷戦の安全保障の礎石を求めて
拮抗する逆ユートピア
はしかとポリオと国連改革
受苦の無国籍性の前で
——いまふたたび常任理事国入りについて
人道主義的な国連のために
国連平和体制が終焉する前に
造反無理——この、理を尽くさぬ戦争について
II
「平和の償還」とは何か
問われる存在の過渡性
「脱国家化」にどう対応するか
「終末」を生き続ける
二つの人権侵害の衝突——日本大使公邸人質事件
国連事務総長とは何か
沖縄リアリズムの切なさ
新たなルネサンスの時代
テロと報復——9・11後の「寛容」
アフガン暫定政権発足
パレスチナと国際社会
人権としての亡命
悲しみの日々に、グールド
イラク攻撃で失うもの
「戦後復興」論議の混線
許されない「国家のウソ」
サイードを惜しむ 2003.11
アフガニスタン戦争と民衆裁判
イラク開戦一年——消えた正当化
EU——戦争廃絶制度化を
『父と暮せば』に思う
「極端さの時代」を超えて
ソンターグを惜しむ
安保理改革と米国の反対
III
耐え忍ぶに値する落胆
潰走のあとで——イラク攻撃を記憶すること
日本国憲法のない世界
二〇〇五年八月・ヒロシマ、そしてロウチさんのこと
人道的であることと、平和的であること
混乱の時代とリベラル・アーツと平和
——エドワード・サイードの知識人論をめぐって
IV
平和学への誘(いざな)い
将来の世代のために
善きタテマエを生き抜く
『大地と自由』
『パーフェクト サークル』
『ノー・マンズ・ランド』
この素晴らしき映画たちに
「にもかかわらず」の希望——アンゲロプロス覚書
陶酔せぬこころ——平和のために
「あなたがたは、まだ血を流すほどの抵抗をしたことが
ない」——宮田光雄『十字架とハーケンクロイツ』
バッコクラの残影——平和のしもべダグ・ハマーショルド
あとがき
初出一覧

著者からひとこと

先月この欄を執筆なさった北山修さんは、かつて「ザ・ズートルビー」というフォークグループで音楽活動をしておられた。——と言うと「ザ・フォーク・クルセダーズ」しか知らない人は、「えっ」と目をむくかもしれない。しかしあの伝説の名グループは、ときどき正体を隠しながら、別名で面白く脱線した活動をやっていたのだ。そして本名では、いくつか印象深い平和の歌も残している。

「ザ・ズートルビー」が同時代(1960年代)のスーパースター、ビートルズをもじった名前であることは言うまでもない。本家のビートルズもまた、音楽的にすばらしいだけでなく、いくつか平和を求める名曲を残した。たとえば Give Peace a Chance。邦題は「平和を我等に」となっていたが、直訳すると「平和に機会を与えてみよう」となる。平和をあきらめがちな私たちに再考を促し、励ましてくれる曲だった。いまでも好きで、ときおり聴いている。

そんな時代を過ごし、そのまま平和の問題を考え続けてきた。『国境なき平和に』は、その中で書きためた評論やエッセーをまとめたものである。この仕事の過程で、一方では自分の思索の「動線」が自分自身にもくっきりと見えてきた。そしてそれ以上に、自分が考察の対象にしてきた世界のありようが、ここ20年ほどの間、あまり変わっていないことにもあらためて気づかされた。むしろ、いくつもの点で悪くなってさえいるかもしれない。自分が立っている地点にいま少し踏みとどまらなければならない、と思う。

同時にこれは、自分の魂がひかれてきたものの目録作りにもなった。ハマーショルド流に言うなら、自分の「あこがれ」である。ハマーショルドやサイードといった人々、アンゲロプロスの映画、歴史に黙殺された人々の側に立つこと、陶酔せぬこころ、等々。それらがあればこそ、世界のありようが幻滅多きものであるにもかかわらず、いつも希望を保つことができた。そして感性的には、ビートルズやフォーク・クルセダーズが求めた平和とどこかで通底しているかもしれない。

本のタイトルだが、これは、国境がなくなれば世界は平和になるという意味ではない。人間の作る「平和」がしばしば、一本の線のこちら側は平和で向こう側は非平和、というものであることへの疑念をこめたのである。こちら側は正義で向こう側は悪、こちら側は勝ち組で向こう側は負け組——そのような線引きがある限り、世界は本当には平和でない。そのことを、ささやかにでも本書で伝えられればと思う。(2006年1月 最上敏樹)