みすず書房

「ひとは何を求めて映画を見るのか。自由の幻想を求めてである、という答えが第一にありうるだろう。(…)しかし、それだけではない。自由ではなく不自由の体験を観客に与えようとするフィルム群があることは、誰しもが知るところであるだろう」
“サスペンス”とは、宙吊りの状態、未決定の状態に置かれること。登場人物および観客をもそんな状態に巻き込むのが、サスペンス映画である。ひとはなぜ自らすすんで、そんな不自由と恐怖を求めて映画を見るのか。
感情移入とカタルシスに基づく説話論的サスペンス理解を超えて、確かな足場のない宙吊りの不安、さらには不安がもたらす魅惑を、サスペンス映画はさまざまに組織し、洗練し、そして継承してきた。

「不安が最終的に解消されることなどけっしてなく、(…)ヒッチコック的な眼差しを経由したいま、日常は、映画館の外においても、つねにすでに犯罪を抱え込んだものとして現れる」
グリフィス、セネット、キートン、ラング、ウェルズ、ターナー、ヒッチコック、スピルバーグからイーストウッドまで、斬新な映像分析、小気味よい論理展開、息づまる(映画的な)場面描写によって、新たな映画の見方を提示する。表象文化論の新鋭による、読み物としても第一級の映画史。

[初版2012年6月20日発行]

目次

序論

第一部 モビリティー
第一章 サスペンスの始まりとグリフィス
一 チェイス・フィルムと予定調和の問題
二 『ドリーの冒険』から並行モンタージュへ
三 離散と回帰のメロドラマ
四 現在からの逸脱
五 サスペンスのパラドクス

第二章 バーレスクとモダン・エイジ
一 マック・セネット
二 身体の機械化
三 行動主義心理学とバーレスク俳優
四 不適応の諸様式──ロイド、チャップリン、キートン
五 サイレント時代の終焉

第三章 フリッツ・ラングと二つの全体主義
一 都市のサスペンス
二 マブゼとM
三 ハリウッドの全体主義
四 説話的サスペンスとエルンスト・ルビッチ
五 ハリウッド時代のラング

第二部 めまい
第四章 主観的サスペンスとジャンル化
一 サスペンスのジャンル化
二 オーソン・ウェルズ─—光学とメディア
三 ジャック・ターナー—─境界と闇
四 知覚の宙吊りと主観ショット
五 投射の罠

第五章 ヒッチコック的サスペンス
一 客観的サスペンスと主観的サスペンス
二 予兆と平面
三 観客の場所
四 らせん
五 幻滅

第六章 ポスト・ヒッチコック
一 古典的スタジオ以後
二 スペクタクル時代の諸要素
三 SFサスペンス
四 収束
五 クリント・イーストウッド

結論

あとがき
参考文献
フィルモグラフィー
人名索引
映画題名索引