2014年9月14日に三省堂書店神保町本店で開催しました『ボビー・フィッシャーを探して』刊行記念イベント「盤上の冒険者たち ~将棋と詰将棋のマスターが語るチェスの世界」から、第I部の対談の内容をご報告します。
【目次】
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【ご出演者略歴紹介のあと、対談開始】
- 司会の赤田さん 今回のイベントの本題が『ボビー・フィッシャーを探して』ですので、最初にチェスについて一つだけ質問させていただきます。そのあとはお二人でご自由にお話しいただければと思っております。
本書は、少年がチェスと出会うところから始まります。お二人がチェスと出会ったときを思い返すと、それはどういった体験でしたでしょうか。子供のころに将棋や詰将棋に出会って夢中になったときと、年齢を重ねてから出会ったチェス、チェスプロブレムへののめりこみ方は、どんなふうに違っていたのでしょうか。若島先生、羽生先生、どうぞよろしくお願いします。
【出会い】
- 若島 どちらが先手で?
- 羽生 あ、では、お先にどうぞ(笑)。
- 若島 では私が先手で。私は最初に将棋と詰将棋に出会ったんですけども、それが5歳か6歳ぐらい。近所に将棋道場がありまして、お守りのためにそこに連れていかれたんですが、そのときは「回り将棋」しか知らなくて。道場にいる人が「ぼん、将棋指そか」と……私は京都の人間なので(京都弁で)声をかけてくれたんですが、回り将棋しか知らなかったので、だったら本将棋を教えてあげるということで(その人に教わった)。たぶんルールを覚えたのはそのときです。将棋道場で知りました。
- 羽生 ほお。
- 若島 それで近所の子供たちと、夏なんかによく出す「床几」……。
- 羽生 縁台床几?
- 若島 縁台床几。あれを出してよく将棋を指していたんですけども、私は一人っ子なものですから詰将棋のほうに。詰将棋は一人でできるから。「塚田詰将棋100題」のような問題集を親に買ってもらって、それを解いていたんです。たぶんその頃に解けたのは11手詰ぐらいか……それぐらいまでは解けたかと。
- 羽生 (5、6歳で)11手詰ですか(笑)。
- 会場 (笑)
- 若島 小学校二年生か三年生のときだったと思うんですけども。でも、それだけで終わってたら今こんなことにはなってなかったと思うんですね。小学校5年生のときに、ある詰将棋の本を買ったんです。その本にも同じように詰将棋の作品が並んでいたんですが、そのあとに著者のエッセイがあって、当時子供だった僕の目から見ると非常に不思議なことが書いてあったんです。“自分は病院に入院している──たぶん昔のことですから、肺病かなにかだったのではないかと思うんですが──、それで医師や看護師さんに「詰将棋を作らないように」と言われる”と。なぜかというと、詰将棋を作ると熱が上がるから。だからお医者さんに止められているんだけども、そう言われてもどうしても詰将棋を作りたい、と。
- 羽生 なるほど。
- 若島 子供ごころに非常に不思議に思いました。熱が出るとわかっているのに作りたいとは、どういうことなんだろう? それまで詰将棋について、私は算数のドリルを解くみたいに、問題があってそれを解くだけのことだと考えていたのですが、“詰将棋には作る人がいるんだ”と知った。算数だったら32×42という問題に作者はいないわけです。ところが詰将棋の問題にはなぜか作者がいて、“どうしても作りたい”と書いている。これはどういうことなんだろうと思ったのが、(詰将棋作家への道を歩む)きっかけです。
- 羽生 でも、詰将棋をつくろうと思ってすぐに作れるわけではないですよね?
- 若島 ところがそのエッセイのあとに、「詰将棋の作り方」というエッセイも載っていたので、それを真似して作ろうと思ったんです。いまでも覚えているのですが「平行移動法」だとか書いてあったんですね。
- 羽生 難しそうな名前ですね。
- 若島 盤面を横に一列か二列ずらして「平行移動法」とかいって……真似をしようと思っても、当たり前ですが、全然何のことかわからなかったのですが(笑)、“ああ、作り方があるということは、僕でも作れるのかなあ”と。で、やってみたんですけど、全然作れなかったです、その当時は。
- 羽生 いつごろから創作を始めたんでしょう? もう中学生ぐらいから?
- 若島 中学生ですね。これは気恥ずかしい話ですけど、『将棋世界』という雑誌に読者の投稿欄があって、中学一年生のときにそこに投稿したんです。その内容というのは、僕は将棋が好きで、学校で自己紹介のときに黒板の前で、“僕の得意技は将棋の駒にある字を上下反対に書けることです”と(笑)。
- 羽生 (笑)
- 若島 そう言って黒板に書いて見せて自己紹介のときにウケました、という話を投稿欄に出したんです。そしたらある人から反響の葉書を一枚もらいまして。「きみは将棋が好きらしいですが、『詰将棋パラダイス』という雑誌があるので、それを一度購読してみませんか」と。その人が作った3手詰か5手詰ぐらいのやさしい詰将棋も添えられていて「これ、解けますか?」という内容で。どういう雑誌かなと思って『詰将棋パラダイス』を買ったのがきっかけです。中学一年生のときです。
- 羽生 作るほうは独学というか、自然に手を動かして作れるようになったということですか。
- 若島 やっぱり他人の作品を見て“自分もこんなもん作りたいなあ”と思うのが一番最初で。それはたぶん、小説家がいろいろな作品を読んでいて、自分もこんなの書きたいなあと思うのとかなり似ている。
- 羽生 ああ、なるほど。でも詰将棋というのは、34足す21のような問題ではなくて、何かしらテーマだとかアイデアを作品にしているわけですよね?
- 若島 そういう人もいるということです。というのは、詰将棋というのはテーマを持って作る人もいるけれども、テーマなしでも作れちゃうわけで。たとえば、下段の王様から一つ離れたところに歩があって、持ち駒が金で、頭金までの1手詰というのが将棋の一番初心者の人の解く問題ですけども、それだって「それは詰将棋だ。私の作った詰将棋だ」と主張しても別に構わないんですよ、全然。
- 羽生 構わないことは構わないですけど(笑)。
- 若島 それは極端な話ですが、それに似たような詰将棋もあるので。それを詰将棋と言っても別に構わない。それはまったく各人の思い方によるわけです。
- 羽生 詰将棋とチェスプロブレムに定義上の違いはあるんでしょうか? 明文化されたものがあるわけではないと思うのですが、(若島さんは)両方解かれたり作られたりしていると、こういうところが違うというのが、何かありますか。
- 若島 詰将棋とチェスプロブレムにはかなり大きな違いがあって、詰将棋の場合には、将棋を覚えたてのころに「詰将棋を解いていたら初段ぐらいにはなれますよ」と言われたりする。詰将棋は(指し将棋の)上達のためのツールであるという認識がありますが、チェスプロブレムに対してはそういった認識はないんです。チェスプロブレムをやったらチェスが上手くなるというのはない。だから普通は、チェスをやる人はプロブレムはやらないです。
- 羽生 上田(吉一)さんがよく話をされていますよね。上田さんはすごい詰将棋を作るんだけれども、指すほうはアマチュア初段だという。
- 若島 ええ。
- 羽生 プロブレムの世界にもそういう人っているんですか? すごいプロブレムを作るけれども指すほうはあんまり……というような。
- 若島 チェスプロブレムをつくる人は、普通はたぶん、まずチェスを指すことから始めているんですよ。だから僕のようにチェスを指したことのない人がいきなりチェスプロブレムを作るということは、海外ではあまりないと思います。
- 羽生 ああ。
- 若島 ただ、それに関して一つ、なぜ詰将棋をやっているのか、その理由は簡単に言うと、将棋ではあまり起こらないようなことが起こるので……。
- 羽生 ああ、はい(わかります)。
- 若島 それを詰将棋でやりたいということがありまして。プロブレムもそれに似たところはあるかなあと。私も大学にいたときには将棋部にいましたので、指すほうを一番にやっていたんですが、そうすると詰将棋は全然作れないんです。
- 羽生 そうなんですか。
- 若島 両立しないので、いまは指し将棋は一切やらなくなって、詰将棋しかやっていません。たぶん、両立しない。
- 羽生 詰将棋を作るのとチェスプロブレムを作るのは、両立できるんですか?
- 若島 それはまったくOKです。今年も8月に一週間、スイスでチェスプロブレムの世界大会があって私も行ってきたんですけど、その一週間だけチェスに(自分のモードが)変わるという感じで、一週間だけチェスの頭になります。
- 羽生 その辺の切り替えは可能なことなんですね。
- 若島 羽生先生も、海外のチェスの大会に出かけられるときには、どこかで頭のチャンネルを変えるというか……(そのような感覚はありますか)?
- 羽生 そうですね……だけど前に一度、海外のチェスの大会に出ていたときに「最近の名人戦の棋譜だよ」って持ってきてくれた人がいました(笑)。
- 会場 (笑)
- 羽生 いまはグローバルな時代なので、どこにいても持ってきてくれる人がいるので……切り替えがなくて(笑)。若島さんは翻訳もなさっていますが、切り替えのやりやすいものとやりにくいものが、あるのでしょうね。
-
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【詰将棋とチェスプロブレムの類似と相違】