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佐々木幹郎『雨過ぎて雲破れるところ』

「〈雨過ぎて雲破れるところ〉は詩の生まれる言葉の大地であると共に〈ポスト都市文明〉を見晴るかす、はろけき場所にある」(高梨豊氏「東京新聞」10月7日)

10月21日、サントリーホール小ホールで行われた朗読劇公演「“子守唄よ”――中原中也をめぐる声と音のファンタジー」を観にいきましたが、いや、まいりました。朗読があって、その伴奏があって、などという安易な先入観はすっかり吹き飛ばされ、音と声と映像による実験的パフォーマンスに引き込まれました。
この舞台公演を演出した佐々木幹郎さんの『雨過ぎて雲破れるところ――週末の山小屋生活』(小社8月刊)。各紙誌書評でとりあげられ、好評を博しています。

最近、シニア世代では、都会に基盤を残しながら田舎暮らしをする人が増えつつあるようですが、著者・佐々木幹郎さんは、そんな生活を20年以上も前から続けてきました。仕事で多忙な際も身を引き離して山小屋にたどりつき、仲間や村人とともに「遊びの空間」づくりを日々実践してきたその蓄積ゆえに、長年樽に寝かされていたシングルモルトのような深い味わいが文章の端々に滲み出ています。自然のなかで自然とさまざまに、異なる技能をもった人々とともに交渉=交感することの喜び。読み進むにつれ、「人間本来の感覚がうずうずする」(西條博子氏「週刊朝日」10月12日号)こと間違いありません。のみならず――

たとえば冒頭に引いた高梨氏は、こう記しています。「感動的なのは山小屋に合宿に来た芸大生と村の少女たちとの交流である。リハーサルの合間に楽器にふれた小学少女は学生たちの手ほどきにより、見る間に音楽を自分たちのものにしていく。ギター一丁から始まった山小屋の音楽シーンはマンドリン、ハープ、フィドル、太鼓と、踊り出した少女たちのダンスによって、とてつもなく大きな交響的空間に変貌していく」(前掲)
実際、本書を読んで山小屋に著者を訪ねた読売新聞の金巻有美さんは、詩人の詩を少女たちが歌い出すのを目の当たりにして、「高原に響く澄んだ歌声に、思わず、涙ぐむ。詩人が、ここを訪れずにはいられない理由が、分かるような気がした」(10月21日書評欄「著者来店」)。まさに「山小屋文化」というほかないもののあらわれです。

ちなみに高梨氏の「芸大生」とは、朗読劇で圧倒的な存在感を示した「VOICE SPACE」のこと。少々長くなりますが、公演でお顔を拝見した谷川俊太郎氏の評を最後に掲げます。
「この山小屋は一家族が別荘として使っているものではなく、もっと開かれた場として機能しているのです。この本を抽象的に要約すれば、血縁によらない流動的な共同体と著者とのかかわりの二十年余にわたる記録ということになるでしょうか。(…)幹郎さんは観念や空想にかたよりがちなシジンにしては、日々の具体的な暮らし(と遊び)を大切に考え、そのために骨身を惜しみません。たとえばネパール式のぶらんこを作る話や、氷のオブジェを作る仕掛けなど、細部が目に浮かぶ語り口や写真が楽しい。ですが、一つも愚痴はこぼしていませんが山小屋を離れた彼は、老いた父と叔父の介護と、脳出血で左半身麻痺(まひ)になった双子の弟の介護の責任を負ってもいるのです。血がつながった家族のその重荷を、幹郎さんは山小屋での血縁によらない家族との気持ちの通い合いによって、少しでも軽くすることができているのではないでしょうか。そこに私は新しい家族のひとつの可能性を見ます」(「北海道新聞」10月21日)


〔撮影:佐々木幹郎〕



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