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『芸術か人生か! レンブラントの場合』

ツヴェタン・トドロフ 高橋啓訳

しばらく前の朝日新聞一面に、〈フェルメール「真珠の耳飾りの少女」12年東京・神戸に〉という記事が載りました。3年さきの展覧会の合意ができたというだけの内容にもかかわらず、多くの美術愛好家がブログで「今から待ち遠しい」と書いているのを見て、フェルメールの人気にあらためて驚きました。

ところで、この記事は「レンブラントやファン・ダイクら巨匠の作品も出展される」とさりげなく続いています。マウリッツハイスが所蔵するレンブラントの代表作といえば「テュルプ博士の解剖学講義」ですが、これは同時に貸し出さないとすれば、もしかするとレンブラントが人生最後の年に描いた「自画像」が日本にやってくるのでしょうか。

サインの下に1669年と記されたこの作品は、あらゆる国のあらゆる時代を通じた自画像の傑作といえるでしょう。喜びとか悲しみとかいう特定の感情ではなく、人間の精神にそなわるすべてのものが滲み出すような表情を、晩年のレンブラントは獲得し、それを描き出すことに成功しています。けれども、若かった画家の「強烈な9年間」は、どうだったのか、本書の著者トドロフはそこに、レーザー光線のようなまなざしを注いでいるのです。サスキアと婚約した1633年6月5日から、サスキアが亡くなった1642年6月14日まで、レンブラント27歳から36歳までの9年間。その間に3人の子が生まれてはすぐに命を落とし、4人目のティトゥスだけは生き延びますが、母親のサスキアは結核で身まかりました。

トドロフは書いています。「彼がそのときどきで何を感じたか、そのときの感情が作品に表れているのか、あるいは作品がそれに取って代わっているのか、いずれもわたしたちにはけっしてわからない。それでもなお、レンブラントの関心を惹くものが自分を取り巻く存在であるよりは、そこから自分が生み出すことのできる画像であることは見てとれる。彼は芸術的創造に不可欠な条件として、観察される世界に対して自分がその外側にいることを受け入れているように思われる。おそらく近しい人々には辛い思いを強いる態度であったろう。」

最後の自画像を、本書のカバーを飾る1640年の「自信たっぷりの」自画像(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)と見比べてください。そうすれば、なぜトドロフが美術評論の体裁をとりながら哲学的考察をしたのか、その理由がお分かりになるでしょう。究極のテーマ「芸術か人生か!」に対する、新たなアプローチです。

なお、本書の高橋啓さんが、十勝発信のブログで「あとがき」とはべつの視点から言及されています。




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