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アガンベン『イタリア的カテゴリー』

詩学序説 岡田温司監訳 橋本勝雄・多賀健太郎・前木由紀訳

いま、もっとも脂ののっている哲学者、ジョルジョ・アガンベン(1942- )。この思想家の専門領域をもとめて著書を読むと、読み継げば読み継ぐほどに、曖昧な領域に投げ出され、しかしすべてが同じ地平にあることも実感する。哲学、政治学、歴史学、神学、文学――そのどれでもあり、どれとも特定できないテーマとスタイルをもった論文が、実に精力的に著わされていっているからだ。
だが、この本を読んでいると、アガンベンの執筆への情熱の出発点には、詩があることが明らかになってくる。詩への愛に、つまり言葉の可能性に囚われている人であることが。

まず、冒頭に置かれた「第一章 喜劇」を読んでほしい。これはアガンベン弱冠34歳の時に書かれた論文だ。ダンテのあまりに有名な著作『神曲』が、著者自らの意志で、(悲劇ではなく、それに対する下位カテゴリーに置かれる)「喜劇」に位置付けられたことの思惑・謎(これは、みんなが気になっているだろう)に、アガンベンの文献学者たるどんな細部も見逃さない着眼によって、じわじわと迫ってゆく。
その他、この本では、一貫して文学が素材として選ばれている。15世紀末に刊行された、挿絵版画がふんだんに入った有名な豪華本『ポリフィロの愛の戦いの夢』(図版)といった大きな作品についての繊細にして独創的な読解が行われるかと思えば、十三世紀の「おそらくはイタリア人の筆になるとおぼしき」二冊の手写本のある単語(アガンベンの知られざる?エスプリ!)へのこだわりに一章が費やされ、またある章ではイタリア人でも知らないマイナー詩人の詩法へ讃嘆のまなざしが注がれる。そしてある章では若い頃に慕い親交を深めた詩人たちとの思い出がつづられていく。これらの文章からは、アガンベンの他のどの著書よりもはっきりと、作品や作家についての個人的・具体的な好みが伝わってくる。

本のまえがきで、アガンベンは書いている。「(…)つまり、文献学者が不見識なのは、彼らがその意味を充溢させるほど言語を愛していないからであり、哲学者が無能なのは、真理が言語のうちに宿っていることへの配慮をないがしろにしてしまうほど、彼らが真理を愛していないからなのである」。このストレートな苛立ちの言葉から受け取れるのは、アガンベンの言語への愛の強さだ。この本から、アガンベンの書き方の源が、詩学と密接に関係していることに、わたしたちは気づくのだ。




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