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『シモーヌ・ヴェイユ選集』 II

中期論集:労働・革命 冨原眞弓訳 [全3巻]

生涯に沿って思索の跡を追う日本オリジナル選集の第II巻は、中期の代表的な仕事を輯めた。
この時期の大きな成果のひとつ「工場日記」は、1934年から翌35年にかけて、25歳のシモーヌ・ヴェイユがリセの教職を離れて、自動車のルノーなど、パリのいくつかの工場で女工として働いた期間の精緻な記録である。
ヴェイユの同僚だったある調整工は、1958年にインタヴューで工場での彼女をつぎのように語っている。

「ひょろっと小柄で、穏やかな大きな眼をして、とても丈夫とはいえなかったなあ。きつくて疲れるこの種の仕事にはぜんぜん向いてなかったね。工場で働こうと決めた意図について話してはくれなかった。工場と呼ばれる現代の流刑地で生きぬく条件をもっとよく知りたくて選びとった使命だったらしいが。ひとつだけ文句をいいたいのは、内気かほかの理由かは知らんが、おれたちにほんとうのことを打ち明けてくれなかったことだね。そうしてくれたら、おれたちも彼女が使命をはたせるように支援したし援護しただろうに。作業助手が、彼女は哲学教授資格者〔アグレジェ〕だぜ、と吹聴していたが、なにせ奴はほら吹きでね、おれは信じなかったんだ」

ヴェイユと親しかった、労働組合活動家アルベルティーヌ・テヴノンは、こう記す。

鉱夫たちと親しくつきあい、労働運動について考察し執筆するだけでは、彼女には物足りなかった。労働と労働者とをつなぐ諸関係を深く知りつくすこと――自身を労働者にする以外にこの認識に到達する道がありうる、とは考えなかった。そこで、女工になる決意をした。この点でわたしと彼女は烈しく衝突した。プロレタリアの境遇とは事実であって選択の対象ではない、とりわけ精神構造にかかわる部分――すなわち生を理解する姿勢にかんしてはそうだ。わたしは「王さま鉱夫〔ロワ・シャルボン〕」にはまったく共感がもてない。経営者の息子がおしのびで父所有の炭鉱に働きにきて、しかるべく経験をすませたら、また経営者の生活にもどっていく、というやつだ。女工の基本的な反応は、ブルジョワ階層出身の哲学教授資格者を有する女性の反応とおなじであるはずがない。われわれは彼女にずけずけと反対した。われわれの考えは一般論としては正しかったにせよ、シモーヌにかんするかぎりは誤っていた。彼女は実家を離れ、作業場の仲間とおなじ物的条件のなかで生きた。〔……〕彼女は彼らの姉妹であると感じたが、このことは彼女にあっては文学的な表現にとどまらない。「自分が労働者階級にもぐりこんだ哲学教授資格者であることなど忘れていた」と彼女は書いた。この経験によって死ぬまで消えない刻印をうけたのだった。

工場で遭遇する種々の苛酷な現実を記した一冊の手帖――「工場日記」は、ヴェイユの思考と感情の跡をあまさず留める、稀有な記録である。本選集では、ヴェイユが考え、書いたとおりのかたちをできるかぎり復元すべく、レイアウトにも工夫をこらした。

「工場日記」とともに「展望 われわれはプロレタリア革命に向かっているのか」をはじめ、労働組合関連の寄稿記事や論考など、労働と革命についてのヴェイユの思考を構築するさまざまなピースが、この一冊に輯められる。この時期のヴェイユの意図と挑戦、そして、苦難をへて収穫された果実を明らかにする、未邦訳をふくむ全12篇。




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