みすず書房

『アントフィナンシャル』巻頭序文(一部)ウェブ公開

廉薇・辺慧・蘇向輝・曹鵬程『アントフィナンシャル――1匹のアリがつくる新金融エコシステム』永井麻生子訳

2019年1月18日

[黄益平(北京大学デジタル金融研究センター主任)による序文を一部ウェブ公開]

序文 アントフィナンシャルは生きた金融の発展史である

黄 益平(ホアン・イーピン)

『アントフィナンシャル』は金融の発展史を記した本である。本書には、アントフィナンシャルの2003年10月から2017年4月までの発展の道程が克明に記録されている。また、「アリペイ」の誕生、「余額宝」のリリース、「アントフィナンシャル・クラウド」の正式な運用開始、「芝麻信用」の誕生、「網商銀行」(マイバンク)の開業、キャッシュレス連盟の結成など、アントフィナンシャルが経てきた一つひとつの重大なブレイクスルーと挫折が、ここにほぼ再現されている。それに増して重要なのは、アントフィナンシャルの歴史を読むことで、われわれが金融の発展史をたどり直すことができることだ。その理由は、アントフィナンシャルの発展の足跡が、無から有を生み、小から大となり、シンプルなものから複雑さを増していくという過程を経ているためであろう。

金融史の書籍は、通常、金融業の起源を紀元前2000年のバビロニアや紀元前6世紀のギリシャの寺院における通貨の保管や融資業務にまで遡る。イェール大学のロバート・シラー教授によると、現代の銀行の起源は金細工師である。潤沢に金を持つ顧客たちはその一部を金細工師に預け、一定の見返りを得る。金が必要な顧客は、金細工師から一時的に金を借り、一定の費用を支払う。金細工師は両者の間で信用仲介役を担い、利ざやを稼いでいた。これが現代の銀行の前身である。しかし、このプロセスが生まれたのは紀元前で、今日のわれわれは金融の教科書の中でしか、最初に金融が生まれたロジックを理解することができない。

アントフィナンシャルは、実際の生活の中で金融の誕生と発展の過程を復習するチャンスを与えてくれる。アリババはなぜ「アリペイ」を生み出したのか? その物語は、バビロニアの寺院の物語につながっている。金融取引の始まりはすべて実体経済のニーズから引き出されたものだ。アリババがインターネットショッピングのプラットフォームを作ると、決済の問題を解決する必要が生じた。しかし、決済をめぐる問題の根源は「信用」にある。技術的にも、意欲においても、当時の商業銀行ではタオバオの抱えていた問題に満足のいく解決方法を提示することができなかった。なぜなら、タオバオの取引件数は莫大であったものの、その1件あたりの金額は少額であり、人の手でこれらの決済処理を行えばハイコスト、ローリターンになってしまうからだ。そこで、アリババは保証を提供し、アリペイにユーザーの口座を作り、デジタル技術によって取引のスピードと確実性を高めると同時に、コストも削減した。これらはまさに実体経済のニーズに即したものである。

アントフィナンシャルの物語は大変複雑で、浮き沈みが激しいため、この企業の歩みを正確に理解するのは難しい。しかし、ミクロ経済学では、すべての企業は自らを縛る規定された条件の下で期待値の最大化を追求するものとされている。アントフィナンシャルも例外ではない。アリババとアントフィナンシャルの上層部はしばしば、インクルーシブファイナンスを発展させ、貧しい人々に金融サービスを提供し、世界からやりにくい商売をなくすというメッセージを発している。筆者は彼らの誠意や思いをみじんも疑うものではないが、結局のところ、アントフィナンシャルの経営の目的も他の企業と同様、利益の最大化にある。この一点がなければ、アントフィナンシャルという企業は存続できない。貧しい人々に金融サービスを提供し、市場シェアを拡大することは、すべて上述の目的を追求するために採られる経営戦略なのだ。正確に言うと、それらは手段であって目的ではないのである。

アントフィナンシャルの営業活動は、金融環境やデジタル技術、行政上の監督をはじめとする一連の条件による拘束を受ける。この三つの条件の変化が同社の生存可能性と発展の道筋を決めると言っても過言ではない。

第一に、中国の金融システムは巨大であるが、そのサービスは充分には行き届いておらず、広大な空白地帯が存在する。今日すでに金融機関と金融資産は多様化しており、その数も莫大である。しかし、この金融システムのサービス対象はかなり限定的で、大企業および国有企業、純資産総額が100万ドル以上という富裕層が主流である。金融機関は通常、所得上位20%の顧客にのみサービスを提供することを望む。これは世界的な現象だが、中国では特に、財産権の軽視や利率の統制、不良資産に対する審査の硬直化等が要因となり、中小企業および低所得者層に対する金融サービスの不足が深刻化している。例えば、われわれが以前浙江省で行った調査では、銀行からの貸付を受けられたのは零細企業全体の20%のみであった。また、中央銀行(中国人民銀行)の信用調査システムには8.8億人の情報が登録されているが、そのうち貸付を受けた記録があるのは3.8億人のみだ。このような金融環境が活発なインフォーマル金融を生み出し、アントフィナンシャルやデジタル金融の成長の肥沃な土壌となったのである。

その一例が、マイクロクレジット事業を行う「阿里小貸」である。当時、アリババはタオバオ上のネットショップの多くに資金調達のニーズがあることに気づき、彼らが融資を受けられるよう、自ら商業銀行との提携を模索した。しかし、それらのネットショップの多くは商業銀行の融資条件を満たすことができなかったため、アリババが仲介した100社のうち、2~3社しか貸付を受けられないということも常であった。これでは焼け石に水である。そのため、アリババはネットショップの経営活動およびキャッシュフローなどのデータ分析を通じて、その信用状況を判断することにした。阿里小貸の誕生が実体経済のニーズを満足させるためのものであったことは明らかだが、そうしたニーズの出現はそもそも、既存金融機関の零細企業および低所得者層に対する金融サービスの不備という問題とかなり深く関わっているのだ。また、資産運用サービス「余額宝」もそうである。中国の金融システムは、一般庶民の投資ルートの不在という問題も抱えていた。富裕層は専門的な資産運用サービスを受けられるが、十億人以上を占める一般庶民は、銀行に資金を預けるか、不動産を購入する以外に選択肢がない。少額の資金を運用する方法はさらに少ない。余額宝の誕生は、庶民にマネー・マーケット・ファンド(MMF)の比較的高いリターンを享受できるチャンスを生み、同時に「投資したお金を随時決済に利用したい」というニーズにも応えた。余額宝は、2013年6月のリリース以降急速に成長し、提携先の天弘基金を無名の弱小ファンドから一躍、国内市場のトップ企業へと押し上げた。この急成長は、当時の特殊な金融状況、すなわち市場における資金不足と関係がある。当時は、短期金融市場の翌日物金利が一時10%以上に達することもあったのだ。それから数年後、余額宝の人気が低迷したのに伴い、アントフィナンシャルはさらに広範な投資商品を擁する「アントフォーチュン」(螞蟻聚宝。のちに、螞蟻財富に改称)を誕生させた。

アントフィナンシャルを左右する第二の要素は、デジタル技術の急速な進歩である。デジタル技術の進歩は、アントフィナンシャルの「金融の夢」に「技術」という支柱を与えた。まず、なぜ既存金融機関が所得が低い80%の顧客へのサービスを忌避するのかを考えてみよう。それは、それらの顧客が往々にしてハイリスクであり、信頼できる情報もないからである。また、抵当に入れられる資産もないため、これらの顧客に金融サービスを提供することは、顧客獲得のためのコストが嵩むだけでなく、信用評価も難しい。デジタル技術の中核はスマートフォンとビッグデータ分析である。スマートフォンによって大量の潜在顧客に直接アプローチすることが可能となり、実店舗を設置して顧客を獲得する必要がなくなったため、顧客獲得のためのコストを削減できるようになった。ビッグデータ分析では、顧客に対面せずともその信用状況を評価することができ、インターネットプラットフォームのロングテール効果によって、金融サービスの限界費用をほぼゼロにまで抑えられる。すなわち、デジタル技術の最大の優位性は、インクルーシブファイナンスの発展をサポートできる点にあるのだ。高度に進化したデジタル技術がなければ、デジタル金融は今日のようなレベルに到達することはできなかったし、アントフィナンシャルも現在の規模にまで成長することは不可能だっただろう。

テクノロジーの作用は、アリペイの成長過程においては一目瞭然である。アリペイは2003年にリリースされ、約5年かけてユーザー数1億人を突破した。2009年、最初のモバイルクライアントを世に送り出すと、アリペイはほぼ「一人に一つ」の決済ツールとなった。2016年、アリペイの登録ユーザー数は8億人を超え、実名認証済み〔補注:中国ではサービスの利用にあたり、利用者本人の氏名や身分証情報の登録が課される場合がある〕ユーザー数は4.5億人となった。これと同様に、コンピューティング技術の進歩も極めて重要である。アントフィナンシャルのデータによると、アリペイの決済取引1件当たりのコストはすでに0.02元以下まで抑えられている。1秒当たりの処理件数は、2010年には最大で数百件程度であったのが、現在では12万件/秒に達しており、いまなおその能力は急速に伸びつづけている。日本のとあるスーパーマーケットの店長は、アリペイ、あるいはその競合相手であるテンセントのウィーチャットペイ(微信支付)での支払いを歓迎しているという。銀聯カードの加盟店手数料が3%と高いのに対し、アリペイとウィーチャットペイの手数料は0.1%しかかからないからだ。

阿里小貸と網商銀行では、「申請3分、与信1分、関与人員0」の「310モデル」を実現したが、これには、潜在顧客に対する信用調査がすでに完了しているという前提条件があった。既存金融機関の信用評価において問題であったのは、零細企業および低所得者層の信用リスクを分析する有効な方法がなかったことと、社員を派遣して行う調査には高いコストがかかることであった。こうした難題の解決を支えたのがビッグデータ分析である。現在までに、阿里小貸は500万以上の顧客に貸付を行っているが、その平均金額は3万元以下、平均融資期間は7カ月である。網商銀行は1000万の零細企業にサービスを提供するという目標を掲げているが、それはビッグデータ分析によって初めて実現できる規模だと言えよう。現在、彼らは地方政府を説得し、企業登記情報、納税額、給与や公共料金の支払い状況等のデータを利用して企業情報の共有プラットフォームを構築しようとしている。アントフィナンシャルはすでに、2015年に芝麻信用を設立し、個人を対象とした信用システムを構築している。

アントフィナンシャルの将来を左右する第三の要素は、中国の行政上の管理・監督方針がフィンテックのイノベーションに発展の可能性を与えると同時に、リスクをもたらすということである。フィンテック業界が急成長を始めたばかりの頃、一部の専門家は、「ジャック・マーの金融における成功はコピー不可能である。なぜなら、それは実質的に規制のアービトラージ〔補注:金融機関等が金融規制の回避を目的として他の管轄権に活動を移すこと〕にすぎないからだ」と明言していた。その含意は、国による管理・監督が厳格化すれば、目下は快進撃を続けるフィンテック業界も跡形もなく消し去られてしまうだろう、というものであった。しかし、現在のところ、このような判断は現実からやや乖離している。とはいえ、中国のフィンテックの発展はたしかに監督当局の相対的に寛容な政策環境に負うところが大きい。そもそも、監督当局がインターネット企業の金融業務への参入を許さなければ、アントフィナンシャルは存在し得なかった。例えば、P2P融資プラットフォームのモデルは最初、イギリスとアメリカで誕生したものだが、一定の成功を収めているのは中国のみである。中国初のP2P融資プラットフォームである「拍拍貸」(PPDAI)がスタートしたのは2007年だが、監督部門は2016年半ばになってようやく正式に暫定管理規則を公布した。つまり、この業界は9年近くにわたって野放しにされていたということだ。

網商銀行などの個別の業務を除けば、アントフィナンシャルの多くの業務は「先にやって、後で認可を得る」スタイルである。例えば、アリペイは2003年にリリースされたが、中央銀行が交付する正式な決済業務の許可証(ライセンス)は、2011年になるまで取得していなかった。中国の監督当局がフィンテック企業のイノベーションを一撃で壊滅させなかったのは、それらの革新的な業務が実体経済に与える価値を認めたからにほかならない。QRコード決済の試行と合法化にも、同様のロジックがはたらいている。当初、監督当局はQRコード決済の安全性に懸念を抱いていたが、その実際の運用中に得られた成果を目の当たりにしたことで、これを認可し、標準化しようと決めたのである。2015年1月5日、中国人民銀行が8つの企業に個人信用調査業務の準備作業を許可する旨を通知すると、アントフィナンシャルはすぐに芝麻信用管理有限公司を設立した。中国の監督当局がイノベーションを容認してきた手法は、世界で採用されているレギュラトリー・サンドボックス方式〔補注:政府が革新的な新事業を育成する際に、現行法の規制を一時的に停止する規制緩和策〕に通ずるものがある。つまり、リスクを注視しつつ、イノベーションを容認するというやり方だ。

監督当局の方針に左右されたデジタル金融業務のもう一つの典型例が網商銀行である。自らの銀行を持つことは、アリババとアントファイナンシャルの長年の夢の一つであった。アリババは早い時期に、商業銀行と具体的な提携計画を進めていたが、誰が主導権を握るかという問題をめぐって決裂し、この計画は流れてしまった。アントフィナンシャルが主導する網商銀行は、中国人民銀行が認可した最初の民営銀行5行の候補に入っていたが、設立準備の手続きがうまく進まなかった。持株比率に制限が課されていたため、アントフィナンシャルは投資に見合うリターンが得られないと考えたのだ。網商銀行を設立した後にも、監督当局からオンライン口座開設の認可が得られないという問題が降りかかった。インターネット上でのみ金融サービスを提供する網商銀行に対するこの制約の影響の大きさは誰の目にも明らかであった。営業開始から2年以上が経っても、網商銀行は真の意味での銀行顧客を得られていない。監督当局の方針が変わらなければ、網商銀行が将来、アントフィナンシャルの重要な業務分野へと成長することは難しいだろう。

アントフィナンシャルのストーリーの終わりはまだ遠い。アントフィナンシャルは過去の成長の過程でも数々の問題を解決してきたが、さらに多くの未解決の問題があり、新しい問題も派生してきている。これらの問題を確実に解決できるか否かが、アントフィナンシャルの将来の発展の道筋と、最終的に同社がどのような企業になるのか、そして、金融システム全体に対してどのような影響を与え得るのかを決定づけるだろう。〔……〕

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