みすず書房

ナチズムとスターリニズム、二つの全体主義に抵抗した生涯

ヴィトルト・ピレツキ『アウシュヴィッツ潜入記――収容者番号4859』杉浦茂樹訳 [17日刊]

2020年8月11日

第二次世界大戦前夜の1939年8月、世界に衝撃が走ったのは独ソ不可侵条約の締結だった。翌9月、その秘密議定書によって、ポーランドは東からソ連に、北、南、西からドイツに侵攻され、あっという間に両国に分割された。周知のように、ポーランドは歴史的に「ヨーロッパの回廊」と形容されてきた国だ。何度も蹂躙され、分割され、国の消滅まで経験していた。

ポーランド軍の情報将校ヴィトルト・ピレツキは敬虔なカトリック教徒だった。愛国心と宗教的義務感の両方を強くもった人物だ。

開戦一年後の1940年9月、ピレツキはみずから志願してアウシュヴィッツに収監される。内部の実態をロンドンのポーランド亡命政府に流すと同時に、将来の連合軍の空爆に備え、それに呼応して武装蜂起できるよう、密かに仲間の収容者を組織しつづけた。しかし空爆は実現せず、ピレツキは3年近くたって脱⾛した。

1945年、戦争の終結とともに、ポーランドはつかの間の解放を味わった。しかし戦勝国ソ連の圧力が強まっていく。ピレツキは迷わず、今度は反ソ地下抵抗運動に身を投じた。ただ、ソ連の影響下で共産主義政権となった祖国の政府は次第に一党独裁を強め、当時国内で活動していたピレツキは再三、国外へ出るよう周囲に促される。しかし彼は聞き⼊れず、結局、1947年に⾃国の政府に逮捕・拷問され、翌年処刑された。

ナチズムとスターリニズムという二つの全体主義にあくまで抵抗した生涯だった。なおピレツキの名誉は1990年に回復された。