みすず書房

本書には読者を傍観者にしておかない力がある

ディディエ・エリボン『ランスへの帰郷』塚原史訳 三島憲一解説

2020年5月 1日

本書『ランスへの帰郷』刊行のきっかけは、同僚編集者がくれたカロリン・エムケ『憎しみに抗って』だった。吹き荒れる人種主義、排外主義、民主主義への憎悪について、ドイツ人ジャーナリストが書いたベストセラーである。その中に『ランスへの帰郷』への言及があった。「この問題に関しては、ディディエ・エリボンの(ジャン=ポール・サルトルに賛同する形での)考察が最も有益に思われる。エリボンによれば、狂信や人種差別に特に走りやすいのは、否定的な体験を通して自己を形成する集団や環境であるという。サルトルはある種の集団を「集列」と名付け、それらは制約や障害が多い環境に受け身で無反省に適応していく過程を通して自己形成すると述べる。すなわち、こういった「集列」をつなぐのは、社会の現実に対する無力感なのだ」。この部分がエリボンの当の本ではどのような文脈で書かれているのかに関心がわいて原書を入手してみたのだが、エムケが自分の言葉で要約している部分なので、斜め読みではどこのことなのか特定できなかった。仕方ないので冒頭から読み始め、そしてすっかり没頭してしまった。

『ランスへの帰郷』は著者ディディエ・エリボンの自伝的作品である。フランスの地方都市ランスの労働者階級に生まれたゲイの少年が、階級差別と性的マイノリティ差別を乗り越えてパリの知識人層に食い込むサクセスストーリーと要約することもできるが、本書はそういう趣旨の本では全くない。逆に、生まれの貧しい子供が苦学の末にエリートとして出世するというような逸話が、もう美談には聞こえなくなる作品かもしれない。それを美談と称賛する世間への、社会学者からの強烈なビンタとも言える。一方で、先に引用した箇所は、著者の実家である労働者階級家庭に根づいている人種主義的、排外主義的な価値観、ひいては労働者階級一般に見られる問題(共産党から人民戦線への極端な右傾化、無責任な投票行為)に関係している。労働者階級を持ち上げるどころか、鋭い分析眼を向けている。

本書は2009年にフランスで初版が出て、ベストセラーそして今ではロングセラーとなっている。文庫版となって久しいが、2018年には若手作家エドゥアール・ルイによる本書の紹介を付した新しい文庫が出た。インタビュー形式のごく短いその紹介は、たとえばこんなことを言っている。彼は本書を落涙とともに読み終えたとき、「これは僕の人生を語っている」と感じた。ところがある時ふと、そうではなかったと気づく。エリボンとルイは、たしかに出自や同性愛などいくつか共通点はあるが、相違も多い。「僕の人生を語っている」と思わせたのは共通点のせいではない。しかし彼にそう信じさせ、その後の行動に影響を与えたのが、偉大な本の力というものではないかと。

逆に、左右を問わず支配階級の目には本書はどう映るのだろうか。労働者階級の右傾化やマルクス主義の分析を知的に評価する一方で、既存の支配構造への鋭い批判は他人事として読み流すのか。エドゥアール・ルイの場合のように、本書には読者を傍観者にしておかない力がある。それは、他者という研究対象ではなく、最も距離のとりにくい自分自身の人生を俎上に載せているからかもしれない。彼のような人生を生きた、彼のような人にしか書けない本。それが我々の社会への普遍的な批判になっている。一冊の本との出会いの醍醐味が感じられる作品である。