みすず書房

新刊紹介

日米関係の過酷な鏡が映す現代日本の姿。「訳者あとがき」ウェブ公開

2020年8月28日

米国きっての日本研究者による、痛切な日本現代史。
「訳者あとがき」のほぼ全文を以下ウェブでお読みになれます。

訳者あとがき

山岡由美

この本の翻訳プロセスは、自問自答を重ねる時間でもあった。明治時代の知識人が抱えた葛藤を描く名著『欧化と国粋』のケネス・パイル教授の最新刊の翻訳と聞いて二つ返事でこの仕事を引き受けたのだが、著者の議論との間に一定の距離を保ちながら読むことのできた『欧化と国粋』とは違い、今回は距離がぐっと縮まり、当事者意識を強くかき立てられた。本書は主に二〇世紀初めから私たちの生きる現代まで、つまり「米国の世紀」という長い期間を扱っているうえ、今まさに日本を悩ませている様々な問題の根本要因を鋭く突いている。私は作業を進めながら、考えにふけらずにはいられなかった。

たとえば、民主主義の問題。国民主権や三権分立、基本的人権の尊重といった大事な柱が日本ではぐらつき始めているのかもしれないと、ここ何年か、世の中の動きを見ながらずっと感じていた。

そのぐらつきはいろいろな次元で起きているように見えるが、具体的な例の一つとして数年前に自民党の発表した改憲案が挙げられるだろう。本書から説明を引くと、「現行憲法に埋め込まれた普遍主義や米国的自由民主主義を退け、国家の役割を前面に押し出す日本の共同体民主主義に置き換えたものだ」。著者は、日本国憲法の成立プロセスで米国側が日本側の主体性を全く無視していたと言い、英文原案については「独立宣言や合衆国憲法、ゲティスバーグ演説、大西洋憲章など、米国政治史の基本文書の残響が聞こえてくる。古い明治憲法に、革命的なまでの変更を加えている」と述べる。だから、それをもとにつくられた日本国憲法を保守派が書き換えようとするのも不思議ではないという。「むしろ、ここまで時間がかかったことの方が驚きかもしれない」とも。

一方で、第二次世界大戦前に進歩的な改革が行われていたこと、自由主義や民主主義に向かう流れが生まれていたことに触れ、戦後民主主義の土台はすでにあったと著者は述べている。さらに、戦後の日本が「民主国家になったのは憲法を強要されたためではない。むしろ段階を踏んで、つまり戦後の市民運動が、特定の権益より社会の福祉を尊重せよとの要求を掲げ、政府が徐々に説明責任を引き受けていく中でそうなったのである」とする。

だから日本国憲法を支える理念は、日本に住む人々が戦前から現代にかけて歩んできた歴史と全く無縁なわけではないというメッセージも、私は読み取った。ただ、米国人が草案を書き、日本側が日本語に置き換えたという動かしがたい事実がある。日本の人々が過去を振り返りながら、自分たちの頭で考え、新憲法を最初から最後まで書き上げていたなら、憲法を巡り、今のような非建設的な論争が起きることはなかったかもしれない。そう考えずにはいられなかった。改憲論者がよく指摘するのも、憲法を米国に「押し付けられた」という点だ。著者もこの点を重く見ている。日本人自身が国家を変革できたはずなのに、米国人が革命を進めてしまったと。

日米同盟の問題も、もちろん取り上げられている。米国が日本の無条件降伏を太平洋戦争での目的に据えたことで、日本の従属が決まったと著者は言い、日米同盟は「日本を管理・統制することを狙った覇権同盟」なのだとする。そして日本のエリートは自分の国を従属させる見返りに米国から有形無形の資源を吸い上げ、自分たちの国内での立場をいっそう強いものにし、その一方で「冷戦の政治的・軍事的領域に日本が関与させられる事態を避けるための自己否定的な政策」を確立したという。けれど冷戦が終わり、米国が国際秩序への関与を弱めていくなかで、日本の従属状態には終止符が打たれるものと著者は見ている。

実際私の目にも、米国政府はこのところ国際秩序維持への関わりを減らそうとしているように映るし、米国に対する日本の従属状態が本当に解消されるなら、歓迎したいと思う。特に日米行政協定(日米地位協定)などは、市民の権利を制約する不平等きわまりない規定も含まれているのだから。ただ、事態はどんな方向へ進むのだろうか……。日米同盟はこれまでに比べて互恵性の強いものへと変わったと著者は述べているが、このくだりを訳しながら、日本政府が拙速で購入を決めさせられ、配備予定地で混乱を巻き起こした米国製迎撃ミサイルシステムのことを思い起こして複雑な気持ちになった(脱稿後の今、配備計画は挫折し、結局は税金の壮大な無駄遣いに終わっている)。

また、これから日本が国際社会で果たす役割が増えていくとするなら、どんなプロセスを辿るのだろう。これは安全保障分野に限ったことではないが、日本政府は、まず結論ありきで強引に物事を進める傾向が強いように思う。本書で指摘されていることだが、2014年には「有権者のほとんどが反対したにもかかわらず」集団的自衛権の行使を可能とする閣議決定がなされた。別の文脈で著者は、「日本で機能していたのはエリート民主主義」とも述べている。今後も世論を蔑ろにした外交、安全保障政策が押し進められていくのだろうかと考え、憂鬱な気分になった。いやそれどころか、戦後日本の「平和主義と反戦主義が、突然まるで違うものに取って代わられる恐れ」もあると著者は言う。

本書はもともと米国の読者に向けて書かれたもので、そのためか米国が日本に対して行ったことや米国人の態度についての評価は一貫して厳しい。ここでなされる指摘はまことに的確だが、日本の抱える葛藤の大きな原因が米国の政策にあるとしても、それに向き合うべきは、やはり私たち自身だ。

2020年7月 日本政治のゆがみを改めて浮き彫りにしたコロナ禍の中で

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