みすず書房

「編集後記」――編著者対談ウェブ公開

『さまよえる絵筆――東京・京都 戦時下の前衛画家たち』

2021年2月25日

弘中智子(板橋区立美術館)
清水智世(京都府京都文化博物館)

「さまよえる絵筆」に込めた想い

弘中 ようやくこの一冊が出来上がりましたね。この本の元となる展覧会は、それぞれが普段から戦時下の東京、京都の前衛絵画についての研究を進めていくなかで共同企画しました。

清水 タイトルは2人で本当に悩みましたね。いくつも考えましたが、考えれば考えるほど複雑化して、今回取り上げる作家や作品を言い表す言葉をなかなか見つけることが出来ませんでした。

弘中 彼らは志を一つにしていたけれど、決して似たような絵を描く画家たちではなくて、その多様さをどのように言い表すかが難しかったですね。

清水 「さまよえる絵筆」というタイトルができたことによってようやくデザインしていただける準備ができたのですが、時間がかかってしまいました。

ブックデザインのこと

弘中 美術館の展覧会カタログを兼ねて出版された、この本は制作の当初から作品の図版だけではなく、資料、論考も入れた、長く手元で読んでいただけるようなものを考えていましたね。

清水 資料や論考があることで、より複合的な視点から個々の作品をご覧いただけるのではないかと考えていました。

弘中 掲載した作品を1点、複数点表紙に使うこともできるけれども、それを絵画作品だけに象徴させるのではなく、画家を取り巻く社会状況を含めて見せるために画家たちの名前を使ったメインビジュアルをデザイナーの中野豪雄さんに作っていただきました。

清水 掲載作品をご覧いただくとわかるのですが、この本には中心となるイメージがありません。描き方も考え方にも差異があって、そのことを大切にした展覧会なのですが、それをデザインすることはとても大変だったと思います。すべての画家を等価に扱いつつ、彼らが生きた困難な社会状況をも感じさせる、すばらしいデザインに落とし込んでいただきました。

清水 初めて出来上がった本を見たときに、逆に、装丁から展覧会の意味を教えられたような気がしました。

新発見の作品と資料

弘中 この本では、展覧会で紹介する102点の作品のカラー図版と当時のパンフレット、日記、書籍、写真などの資料を載せました。

清水 例えば吉井忠さんの作品や資料のほとんどは新発見です。これまでほとんど展示されたことのない集団製作《浦島物語》や《鴨川風土記序説》も掲載されています。《浦島物語》は14名の画家の集団製作で、カラー図版で一堂に掲載されるのは初めてです。

弘中 初公開になる作品や所蔵されている美術館でもめったに展示されない作品が掲載されている、記録としても大切なものになったと思います。

清水 とても個性的な作品だと、テーマのある展覧会では扱いにくいということもあります。なぜ彼らがこのような作品を描いたのか、その基本に立ち返ったときに、個性的な作品たちの中から時代状況が浮かび上がってくるような気がしました。

弘中 京都の北脇昇、小牧源太郎の作品などは伝統的な色使い、庭園や仏像をモチーフにするなど「京都らしさ」が際立っていますね。

戦時下の美術作品

弘中 戦時下の絵画といえば、作戦記録画などのいわゆる「戦争画」が知られていますが、その陰に隠れるようにして前衛画家たちは描き続けていたことはあまり知られていません。

清水 自由を制限された状況で前衛画家たちは何をどのように描き続けていたのでしょうか。皆が一様に作戦記録画を描く機会を与えられたわけでも、そういった絵画が全てであると考えていたわけでもありません。

弘中 そうですね。そのような状況で前衛画家であり続けた彼らの強さが見えてきますね。

清水 戦時下に描かれたとは言え、驚くほど魅力的な作品が多いことに注目していただきたいです。

新人画会の案内状と画家たち

戦時下の前衛 東京の場合

弘中 この本で最初に紹介される画家に福沢一郎がいます。パリ留学を経験した福沢は、マックス・エルンストのコラージュに触発を受けた絵画を発表し、日本のシュルレアリストと呼ばれたこともありました。その影響は大きく、画学生や若手の画家たちがシュルレアリスムに熱狂していたのが1930年代後半です。しかし、福沢は西洋古典絵画、イタリアルネサンス絵画などに学ぶことの重要性を若手画家たちに説いています。私も参加した『超現実主義の1937年 福沢一郎『シュールレアリズム』を読みなおす』(みすず書房、2019年)で詳しく紹介されています。

清水 福沢の『シュールレアリズム』はシュルレアリスムに影響を受けた多くの画家たちが読んでいました。京都の画家たちも東京の状況に敏感で、『シュールレアリズム』を読んでいました。

弘中 福沢はシュルレアリスムだけを紹介していたわけではないのですが、1941年にシュルレアリスムと共産主義との関係を疑われ、治安維持法違反の嫌疑で彼と親しくしていた瀧口修造と同日に逮捕されてしまうのです。

清水 福沢と瀧口が逮捕されたことは、吉井忠によって京都の北脇に伝えられます。今ならメールや電話でということになるのでしょうが、当時は手紙という手段です。それでも翌日には吉井から北脇に向けて手紙が書かれ、5日後には北脇から小牧にその情報が伝わっています。それほど美術文化協会の画家たちに大きな衝撃をもたらす事件であり、会が危機的状況下にあることを知る必要があったということでしょう。

弘中 福沢の結成した美術文化協会に参加していた靉光、麻生三郎、寺田政明や二科会に出品していた松本竣介らが1943年に新人画会を結成しました。彼らは前衛絵画に学びながら、戦争画一色の時代に自分たちの本来の絵を発表しようとする冷静な視点を持っていたのです。

1942年11月27日、大徳寺にて。左が北脇昇、右が吉井忠

京都の前衛画家たち

清水 京都の「古都」としてのイメージと、「前衛」や「戦時下」という言葉はなかなか繋がりにくいと思います。でも京都にも戦争はあり、前衛画家であることを自負した人たちがいました。彼らの作品には「庭園」や「仏像」が描かれていますが、なぜ前衛画家たちがそれらを描いたのか。その奇妙な事実にしっかりと向き合うと、彼らが生きた時代背景や、画家としての個別性が浮かび上がってきます。

弘中 北脇や小牧が京都に生活と制作の拠点を置きながら、東京の展覧会に出品していたことは、東京の画家たちを大いに刺激したと思います。彼らが京都から電車を乗り継いで東京にやってきて、美術文化協会の会合で意見する様子は、吉井忠の日記の中にもよく出てきます。

清水 吉井忠は1942年、東北取材の後、京都に立ち寄っています。智積院や大徳寺大仙院など、京都の寺院を案内したのは北脇です。北脇は廣誠院という臨済宗の寺院に住んでいましたが、吉井が宿泊したのもまた、廣誠院でした。高瀬川から水を引く素晴らしいお庭と数寄屋造りの建築物から成る廣誠院への滞在からは、吉井も色々と思うところがあったのではないでしょうか。今回は、その廣誠院からインスピレーションを受けたと考えられる北脇作品もいくつかご紹介しています。

吉井忠と東北

清水 西洋の古典絵画の影響を受け、戦争が激化すると自身の原点に立ち返って制作し続けた画家に吉井忠がいます。吉井は福島出身の画家です。自分の足元を見つめなおすように、東北を取材しました。

弘中 『東北記』やそれにまつわるデッサンはたくさんありましたね。去年の夏にご遺族の元に伺い、調査しました。東北に生きる人々の姿、生活の場所などが細かに記録されていて、民俗学的な視点も感じられます。

清水 吉井の蔵書には、民俗学や考古学、歴史学のものが多数残されていますね。
弘中 可愛らしい手製の蔵書印が押されていて、吉井が戦時下にあっても貪欲に学び、描いていたことがわかります。

清水 東北への取材記録は、『東北記』と題された大量の原稿用紙としても残されています。本当に色々な場所に行って、多くの人々に出会っていて、その経験から紡ぎだされた文章も、とても魅力的なんです。

弘中 吉井がほぼ毎日書いていた日記と照らし合わせて読むと、どこを歩いていたのかよく分かります。

清水 東北が現状のまま残ることはない、ということもわかっていて、いずれ消えてしまうであろう風景や技術、生活の在り方や人々の顔を、文字やデッサンなど、様々な手段で記録しようとする強い意志を感じます。今回取り上げた作品と資料についてはまだまだ調査・研究が不十分な状態です。より深く『東北記』や作品を読み解き、吉井の軌跡を明らかにしていくことは今後の課題です。

弘中 吉井が東北を訪ね歩いていた時の日記を読むと、戦時中に風景をスケッチしていたものだから警官に捕まって、でも取調べのうちに怪しい者ではないことがわかって、お土産を貰って帰るというエピソードが書かれていましたよ。

戦時下の前衛画家たちが描こうとしていたもの

弘中 西洋古典絵画、日本の仏像、埴輪、日本の古くからの農村風景など、この本の中では絵柄だけ追うと異質なものの組み合わせになってしまうのですが、彼らは油彩画の原点、美の根源、生活の礎など、何か足元にあるものを再発見して描いているように思えます。

清水 自由が制限される中で描かれた作品であったとしても、古典に回帰したように感じられる作品であったとしても、彼らは「新しい絵画」を探求しようとしていました。一見したところ奇妙なモチーフを描いているように感じられるかもしれませんが、人間や社会の根源を探求しようとした彼らの実験精神が表れています。

 

考古学、歴史学からの視点

弘中 この本を企画する早い時期から、これらの画家たちの作品をさまざまな視点から読み解きたい、という思いが私たちの中でありましたね。そのため、それぞれの画家やこの時代の社会状況、描かれたモチーフについてなど、美術史に限らず、考古学、社会学研究、映画の方などにお声がけして、それぞれの専門から作品を見た、興味深い原稿が集まったことはとても嬉しかったですね。

清水 今回の出品作に埴輪を描いたものがあります。埴輪は、デフォルメされた形態がとてもかわいらしいので、絵画になるととてもユーモラスなんです。ただ「埴輪を描くということ」を考古学の視点から読み解くと、単に形態の魅力にとどまらない事柄が浮かび上がってくるのです。
弘中 戦時下に難波田龍起や小野里利信が埴輪を描いていたことも驚きですが、当時の考古学研究とも繋がっていたとは、驚きでした。

清水 それぞれの専門から書いていただいたけれども、少しずつ関連し合っています。それらを拝見していると、今回ご紹介した作家や作品について、まだまだわからないことがたくさんあって、多くの課題が残されているんだな、ということを改めて感じています。

吉井忠の蔵書を調査する弘中氏

転換期の調査・研究活動

弘中 この調査を行うことは以前から計画していたのですが、新型コロナウイルス感染症の拡大のため、調査研究活動も普段通りには行きませんでした。そのような中でも資料や作品を調査させてくださった、画家のご家族、美術館や団体の皆さんのご協力があって、出版まで辿り着きましたね。

清水 もっと積極的に調査させていただくことを考えていたのですが、「消極的」にならざるを得ない状態でした。でも互いに出来ることを地道にやり続けて、頻繁にオンラインで繋がることで見えてくることもあります。出来なかったこともありますが、互いの足元をより深く見つめたという点で、今回ご紹介した画家たちに少しだけでも近づけたような気もしています。

弘中 今回は東京と京都、それぞれの地域で調べて持ち寄りましたが、オンラインで話し合っているうちに、もっと調べたいこと、深めたいことが次々に出てきました。研究は終わりませんね!

同名展 開催