みすず書房

新刊紹介

「はじめに」をウェブ転載

2021年4月7日

ザビーネ・ホッセンフェルダー
吉田三知世訳

確信に満ちて、彼らは数十億ドルを投じた。物理学者たちは、次に人類を待ち受けている発見がどこにあるのか自分たちは知っていると、もう何十年も言い続けてきた。彼らは加速器を建設し、人工衛星を打ち上げ、地下坑道に観測機器を埋め込んだ。ああ、もうすぐ、また一段と物理学を羨むようになるのかと世界は身構えた。しかし、物理学者らがブレイクスルーを期待していた場所で、地盤が割れて革新が起こることはなかった。これらの実験は、新事実など一切明らかにしなかったのだ。

物理学者らを裏切ったのは、数学ではなく、彼らの数学の選び方だった。彼らは、母なる自然はエレガントで、シンプルで、しかも優しく手掛かりを教えてくれていると信じていた。自分たちには母なる自然がささやく声が聞こえていると思っていたのだ。その間、同業どうしが互いに向かって話していたのだが。そしていまや母なる自然は語った──高らかで明瞭な、沈黙をもって。

理論物理学は、数学を多用する、理解するのが難しい分野の典型だ。だが本書は、数学を話題にする本にしては、数学はほとんど出てこない。方程式と専門用語をすべて取り去ると、物理学は意味の探求になる──だがその探究は、思わぬ方向へと向かってしまった。どんな法則が私たちの宇宙を支配していようが、それはかつて物理学者たちが期待していたものとは違っている。それは私が期待していたものとも違っている。

本書は、美意識に頼った判断がいかに現在の物理学の研究を推し進めているかという物語だ。それは、教わったものをいかに使ってきたかを省みる、私自身の物語でもある。しかしそれはさらに、私と同じく、「自然法則は美しいのだと私たちは信じているが、何かを信じ込むことは、科学者がやってはならないことではないのか?」という不安と闘っている、ほかの多くの物理学者たちの物語でもある。

(著作権者の許諾を得て転載しています)