みすず書房

松本俊彦『誰がために医師はいる』より試し読み

2021年4月 6日

アルファロメオ狂騒曲

松本俊彦

医者になってから、イタリア車ばかりを乗り継いできた。フィアット、アルファロメオ、ランチア、マセラティ……いずれも90年代のイタリア車ばかりだ。

決して金があったわけではない。それでも、イタリア車ばかりを乗り継いでこれたのは、いずれも中古車だったからだ。少なくとも90年代までのイタリア車は、いつ何が起きてもおかしくない危険な車と見なされ、売却時には、同じ欧州車であるドイツ車とは比べものにならないほど値落ちをした。このため、フェラーリやランボルギーニなどの一部の超高級車を除けば、たいていのイタリア車は、10年を待たずして100-200万円の価格帯で中古車市場に出回りはじめ、駆け出しの医者でも狙える価格帯となった。

もちろん、90年代のイタリア車である以上、それなりの覚悟は必要だった。塗装の劣化は国産車よりもはるかに早く、もともと剛性の乏しいボディはさらに緩み、走るとあちこちからさまざまな軋み音が出たものだ。ついでに、エンジンの組み方まで緩いのか、オイルの減りがやけに早かった。必然的に、週に一回は必ずオイル量を確認し、適宜、自分で注ぎ足す努力を怠らないようにしなければならなかった。

とりわけ冷却系の弱さに関しては、国産車の性能に慣れた人には理解できない水準だった。真夏の渋滞で、鳴り止まない冷却ファンの音と、一向に下がる気配のない水温にハラハラしながら、苦渋の思いでエアコンを切る、なんてことは日常茶飯事だ。最悪、炎天下でヒーターのスイッチをオンにして、エンジンルームの熱を車内に逃がす覚悟も求められる。要は、滝のような汗を流して運転するのは、イタリア車の「夏の風物詩」との心得が必要だったのだ。

このあたりに中古イタリア車オーナーの屈折した矜恃があった。ドイツ車は金があれば誰でもオーナーになれるが、イタリア車はそうではない。ドイツ車ほどは金を必要としない反面、車に関する知識、メンテナンスをいとわない勤勉さ、そして、ときに理不尽と感じられるトラブルを許せる寛容さが求められたのだ。

さて、このようにして何台か乗り継いできたイタリア車のなかで、「もっとも印象深い一台をあげよ」といわれたら、私は迷うことなく、アルファロメオをあげるだろう。

いまから20年あまり前、私はアルファ155ツインスパークという車に乗っていた。アルファロメオには、医者になってからずっと憧れ、特別な思いを寄せていた。理由は単純だった。精神科研修医時代、自分の指導医がアルファロメオに乗っていたのである。

大学病院で一年目の研修医をしていたころの話だ。夕暮れどきの職員駐車場で、仕事を終えて帰路につこうとする指導医が車に乗り込むのを、偶然、見かけたのであった。

不思議な車だった。四角張った形をした小型セダンで、一瞬、型遅れの国産車と間違えそうな外観をしていた。なのに、どことなく「ただ者ではない」オーラが漂っていたのだ。もしかするとその原因の何割かは、フロントグリルに燦然と輝く、あのアルファロメオの派手な紋章のせいだったかもしれない。

それが、アルファロメオという車を生まれてはじめて目にする体験だった。後になって、その車の正式な名前はアルファ75ツインスパークといい、すでに生産中止となっている希少車であることを知った。私は、その車の外観になぜか心を惹かれた。妙なたとえだが、「決して万人受けするアイドル顔ではなく、どちらかというと地味な顔つきなのに、ちょっとしたしぐさの優雅さが気になって、なぜか目で追いかけてしまう女性」――そんな印象を受けたのだ。

「なるほど、これが精神科医の選択なのか!」

当時、うぶな私は妙に感激したのを覚えている。
(…)

――つづきは書籍・電子書籍をご覧ください――

copyright © MATSUMOTO Toshihiko 2021
(著者のご同意を得て転載しています)