みすず書房

家着から考える、あなたにとって「ホーム」とは?

『もう一つの衣服、ホームウエア』「おわりに」より

2021年3月23日

武田尚子

2020年の辛抱の時期、私を支えてくれたのはこの「ホームウエア」だったと改めて思う。自分の仕事の集大成という意味もあるが、執筆の早い時期から、「もっと武田さん自身のことを書いて」と編集者の小川純子さんが背中を押してくれた。私はこれまで自分自身のことを書くということはあまりしたことがなかったし、無名の書き手の個人的なことなど知りたい人がそれほどいるとは思えなかったが、個人的(パーソナル)な記憶も記録の足しになるかもしれないと、前に進むことができた。

ここにきて、ふと思うのは「もう一つの衣服」という表現である。家にこもる生活が当たり前になると、ホームウエアはもう一つの(alternative)衣服ではなく、衣服すべて(mainstream)になってしまう。これはなんと寂しいことか。ケ(日常)があるからハレ(非日常)があり、またハレがあるからケがある。そして、オン(仕事)があるからオフ(休日)があるのであって(もっともフリーランスで働く身にとってはこの明確な区別がないが)、片方だけの生活はむなしい。できるだけ少ない服で過ごすという合理的なミニマリズムの考え方も否定しないが、いわゆるTPOによって着替えることがよろこびであるのは、私世代の特性なのかもしれない。ホームウエアが「もう一つの衣服」であり続ける世の中であってほしいと心から願う。
さらに、私は「もう一つの選択肢」という位置づけが好きだし、自分に合っているのだと再認識した。スポットライトが当たるような華々しい主役でなくて、影(陰)の存在でいい。はたからはあまり見えないが、強烈な自我を持っているというものに惹かれる。

それにしても、「ホーム」とはいったい何だろう。
『プラダを着た悪魔』の主人公の上司のモデルといわれるアメリカ版「ヴォーグ」の編集長、アナ・ウインターは何かのインタビューで、「あなたにとって最高のリゾート地は?」と聞かれた時に「ホーム!」と答えていた。女手一つで二人の子供を立派に育てあげた、中学から半世紀来の友人宅で、その暮らしぶりに感心していると、「私は“家”が好きなの」という答えが返ってきた。晩年を介護施設で生活していた父が何度も言っていたのが、「家に帰りたい」という台詞だった。誰も家なき子にはなりたくない。私自身、家を失う恐怖を少しだけ味わった体験があるだけに、物心ともに「ホーム」がいかに不可欠なものであるかは身にしみて感じている。

企画構想から三年以上、インナーアパレルメーカーをはじめ、ナイトウエア・ラウンジウエア分野のビジネスにかかわっていらした多くの方々にご協力いただいたことに心からお礼を申し上げたい。実際には国内外問わず個人的に好きなブランドはもっとあるが、いつのまにか廃業していたり、コミュニケーションがうまく取れなかったりということは少なくない。
「ブランド・クロニクル」では、各社のあゆみを跡づけるエピソードを紹介することによってホームウエアの変遷を裏づけたいと考えた。だが、歴史的資料をアーカイブ化しているところが少ないことを知ることになった。「ディオール〈鐘紡〉」は既に現存していないが、国内ホームウエアの歴史を語るうえでは欠かせないと考えて、手元にのこされていた資料を元に加えた。また、「ハンロ」と「ル・シャ」は、世界のホームウエア市場のリード役であるとともに、私が35年にわたって取材を続けている「パリ国際ランジェリー展」の常連ブランドであることから、ここに名前を連ねていただいた。
さらに、本書で紹介しきれなかった新しいブランドも次々と生まれている。何事も継続して存在し続けることが大事である。書いても書いても、既に新しいものが生まれ、すぐに次のシーズンがやってきて、大切なことをとりこぼしているような気にさいなまれた。従来のように年二回サイクルでトレンドが変化するようなことはなくても、常に先を見て、一か所に立ち止まることがないのがファッションなのである。最近登場している新しいブランドには、物としての新鮮さを感じることはあまりない(どんな新しい提案とうたっていても既視感を持ってしまう)が、ビジネスの仕方など総合的に見ると大きな変化がうかがえる。まさにデジタルトランスフォーメーション時代の到来だ。そこはもう、次世代にバトンをわたしたい。

窓から見渡せる山や海に季節ごと移ろう自然の色どり、旬のものを中心にしたシンプルでバランスのとれたおいしい食事、鳥がさえずる声や静かに流れる音楽、ベランダの植物や室内のアロマの香り、からだをやさしく包んでくれる布の感触――無意識のうちにも豊かな五感にあふれた家の暮らしが、できるだけ長く続きますように。今はただただ、コロナ禍によってすっかり分断されてしまった内と外、家族と他者との境が、どうか元にもどりますようにと願うばかりである。

copyright© TAKEDA Naoko 2021
(著者のご同意を得て転載しています)